1303年のパリ条約—ガスコーニュと英仏関係をめぐる和解
1303年、ガスコーニュ(ギュイエンヌ)のイングランド領有を回復し、封建的臣従と英仏王家の王朝的結び付きを再確認した英仏間の協定。
1303年5月20日に締結されたパリ条約は、イングランド王権とフランス王権の間で結ばれた外交的和解であり、しばしばギュイエンヌと呼ばれるガスコーニュの領有をめぐる公開戦争の一局面を終結させた。この協定により、大西洋岸の重要港を含むフランス南西部の大部分でイングランドの統治が復活した。また、13世紀後半から14世紀初頭の英仏関係を特徴付けた、封建的義務と主権的権利の複雑な組合せが改めて確認された。和解には、両宮廷を結び付けることを意図した王朝的要素も含まれていた。
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2 画像歴史的背景
1303年条約の法的・政治的背景は、1259年の先行するパリ条約にさかのぼる。同条約は、ガスコーニュをイングランド王権が保有する領域としつつも、フランス君主制の下にある封土としての正式な地位を定めた。この取り決めの下で、イングランド王は他の地域では主権者でありながら、この公領に関する事項ではフランス王の家臣としてガスコーニュを保有した。
王位継承の際に記録された臣従礼の儀式は、この二重性を示している。君主の交替時には、イングランド王はガスコーニュについてフランス王に敬意を表すことを求められ、同時代人は、これらの土地に関するイングランドの地位を家臣のそれとして記述した。このような義務は、ガスコーニュの諸制度や都市中心地が実際には享受していた自治とともに、しばしば指摘される。
1290年代の平和の破綻と戦争
1290年代、アキテーヌにおける管轄権、通商権、地方の権限をめぐって緊張が再燃した。君主の交替により封建的忠誠の形式が改めて注目されると、忠誠義務の問題は政治的に緊迫した。王位継承時の臣従礼という問題、およびその際に行われる儀礼行為は、しばしば摩擦の原因として持ち出され、同時代人には外交関係の決定的要因とみなされた(王位継承と臣従礼)。1294年、フランス王フィリップ4世はギュイエンヌの一部を接収し、この地域で王権を主張しようとした。これに対しイングランドは、法的抗議と軍事準備を組み合わせて対応した。
交渉と主要条項
1303年までに、両者は交渉による解決への復帰に前向きになっていた。この条約は慣例上、ギュイエンヌに対するイングランドの領有を回復し、ボルドーやバイヨンヌなどの主要都市の支配を復帰させたものと説明される。その見返りとして、イングランド王権は当該領土における封建的関係を確認し、フランス君主に対して臣従礼を行うという正式な要件を受け入れた。したがってこの取り決めは、地域における実効的統治と通商の安定を目指しながら、従来の法的定式を再確認するものであった。
王朝的和解と臣従礼
領土に関する条項とともに、この協定は王朝間の結び付きによって補強された。イングランド王位継承者とフランス王女との婚姻は、より広範な和解の一部であった。のちにエドワード2世はフィリップ4世の娘イザベラと結婚し(イザベラ)、フランス宮廷で求められた正式な忠誠行為を行った。こうした個人的紐帯は、王権だけでなく王家をも結び付けることで、政治的和解をより永続的なものにする意図を持っていた。
直接的な結果と限界
短期的には、この条約は係争都市を返還し、大規模な戦争の危険を軽減するという目的を達成した。より明確な枠組みの下で通商と地方統治の再開を可能にし、戦闘に一時的な間隙をもたらした。しかし協定は、フランス王に対する封建的義務と、次第に強大化するイングランド君主制の実際上の独立性およびその志向とが併存するという構造的矛盾を残した。この未解決の緊張のため、条約は永続的な解決というより休戦として機能した。
長期的意義
歴史家は1303年のパリ条約を、ガスコーニュの地位をめぐる1世紀にわたる交渉、断続的な紛争、法的争いの一局面と捉えている。その条項は1259年の条約の先例を繰り返し、政治的現実が別の方向へ進むなかでも、封建的従属という法的擬制を維持した。エドワード1世による先行する行為や、その後継者エドワード2世による後の履行を含め、イングランド君主が行った臣従礼の儀式は、後世の紛争でも引き合いに出され続けた。イングランド王家とフランス王家の婚姻同盟もまた、14世紀の外交と対立を形作った多くの要素の一つとなった。
要点
- 1303年5月20日のパリ条約は、ギュイエンヌの一部に対する直接の占領を終わらせ、主要都市と領域をイングランドの統治へ戻した。
- 同条約は、1259年のパリ条約が定めた封建的枠組みを再確認した。この枠組みでは、ガスコーニュは封土のままであり、イングランドの支配者はその特定領土について家臣として行動した。
- フィリップ4世が1294年に行った領土の接収が、1303年条約が解決を目指した危機を引き起こした。
- 和解は王朝的な結び付きによって支えられた。イングランド王位継承者とイザベラの婚姻、およびエドワード2世による臣従礼の履行は、短期的には平和の定着に寄与した。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 1303年のパリ条約—ガスコーニュと英仏関係をめぐる和解 Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/101305