和銅(元号、708年~715年)
和銅は、元明天皇の治世にあたる708年1月から715年9月までの日本の元号。銅の発見、初の公的な貨幣鋳造、都の奈良への遷都で知られる。
概要
和銅(わどう)は、慶雲の後、霊亀の前に置かれた日本の元号で、708年1月から715年9月までを指す。この期間は元明天皇の治世にあたる。元号名は重要な自然的・経済的発見を記念するものであり、8世紀初頭における国家の発展と結び付けられている。
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3 画像名称と由来
和銅の文字は、古代の日本の呼称または調和の観念を表す「和」と、「銅」を組み合わせたものである。この名称は、当時の武蔵国(現在の埼玉県および周辺地域)で銅の鉱床が報告されたことを受けて採用された。この発見は、和同開珎として知られる公的貨幣の鋳造につながり、同貨幣はしばしば日本で最初に政府が発行した貨幣とみなされている。
主な出来事と展開
- 708年:銅の発見が公表され、伝統的にはこの年に公的な貨幣鋳造が始まったとされる。
- 710年:皇都が平城京(現在の奈良)へ移され、恒久的な都の始まりと、都市計画および宮廷組織の新たな段階を示した。
- 712年:皇室の権威のもとで集められた神話や歴史的伝承の初期の記録である『古事記』が編纂された。
- 715年:和銅年間が終わり、元明天皇が譲位して霊亀の元号が続いた。
これらの出来事は、中央政府が制度と国家性を示す象徴を整備していくなかで生じた、行政・文化・経済上の変化を示している。
意義と遺産
和銅は、天然資源と国家形成を結び付ける例としてしばしば注目される。銅は貨幣の金属的基盤を提供するとともに、資源管理を象徴した。和同開珎は当時の大陸の貨幣を手本としたもので、日本の財政史における重要な時点を示す。平城京への遷都は、後の奈良時代の統治に影響を与えた都市配置と制度を備える皇都を確立した。
元号制度については元号を参照。和銅は慶雲の後、霊亀の前に位置する。この時期は、初期国家形成、貨幣の考古学、ならびに8世紀日本における宮廷文化の確立を研究する歴史家にとって、現在も重要な対象である。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 和銅(元号、708年~715年) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/106108
出典
- books.google.com : "Wadō"
- books.google.com : "Gemmei Tennō,"
- books.google.com : Annales des empereurs du Japon, pp. 63-65
- books.google.com : Gukanshō, p. 271
- books.google.com : p. 64.
- books.google.com : "Nara" at p. 698
- books.google.com : "Kojiki" at p. 545
- books.google.com : "Fudoki" at p. 194
- books.google.com : p. 65