ウエストサイド・パーク(シカゴ)—シカゴ・カブス旧本拠地と跡地の歴史(1893–1915)
ウエストサイド・パーク(シカゴ)の歴史を詳述。1893–1915にシカゴ・カブスの旧本拠地となった球場の栄光、移転、跡地の現在までを写真と記録で辿る。
ウエストサイド・パークは、イリノイ州シカゴにある元野球場の名前です。1893年から1915年までシカゴ・カブスの本拠地として使用された。
2016年に優勝するまで、1907年と1908年にカブスが唯一のワールドシリーズ優勝を果たしたときの本拠地球場である。チームは1916年にリグレー・フィールドに移転した。
球場の名前の由来は、シカゴの西側に位置することから。かつて球場があった場所には、現在、イリノイ大学医学部の建物がある。
歴史の概要
ウエストサイド・パーク(主に「第二のウエストサイド・パーク」として知られることが多い)は、19世紀末から20世紀初頭のプロ野球隆盛期に建設され、当時のナショナルリーグ有力チームであったシカゴ・カブスの本拠地として長年使用されました。木造の観客席や拡張を重ねたグランドスタンドを持ち、1900年代初頭の観客動員や地域の娯楽に重要な役割を果たしました。
球場の特徴
ウエストサイド・パークは当時の典型的な木造球場で、外野フェンスやスコアボード、屋根付きの内野スタンドなどを備えていました。収容人数は時期や増改築によって変動しましたが、当時の基準では数千人から1万人台後半程度の観客を収容できる規模でした。照明設備は常設されておらず、ナイトゲームはほとんど行われませんでした(夜間照明が普及する前の時代の球場です)。
主要な出来事と記録
- チームとしての黄金期:1900年代前半、カブスはナショナルリーグを代表する強豪チームに成長し、複数回のリーグ優勝を果たしました。球場はその栄光の舞台の一つでした。
- ワールドシリーズ期:カブスがワールドシリーズに勝利した1907年と1908年は、ウエストサイド・パークが“本拠地”として使われていた時期であり、球団史上重要な瞬間と結びついています。
- 移転の経緯:球団は規模拡大や新しい施設需要を背景に移転を検討し、1916年に現在のリグレー・フィールド(当時は別名)へ移りました。これによりウエストサイド・パークはプロチームの本拠地としての役割を終えました。
跡地と現在の状況
ウエストサイド・パークがあった場所は、その後に都市再開発や医療・教育機関の進出によって大きく変わりました。現在はイリノイ大学(シカゴ校)や医療関連施設が立地するエリアの一部となっており、古い球場の面影はほとんど残っていません。地域の歴史を記したプレートや資料が大学や地域のアーカイブに保存されていることがあります。
意義と遺産
ウエストサイド・パークは、20世紀初頭のプロ野球文化と都市の変遷を示す重要な遺産です。カブスの初期の栄光期を支えた舞台であり、今日の球場建築や球団運営の変化を理解するうえで参考になります。跡地は病院や大学施設に変わったものの、地域住民やファンの記憶に残る歴史的場所であり続けています。
補注:本記事は歴史的概要を簡潔にまとめたもので、詳細なスタジアム配置図や具体的な収容人数、試合日程などの詳細情報は、当時の新聞記事や球団史、地域アーカイブを参照するとより正確な情報が得られます。
1906年、ウェストサイドパーク。
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