ジャマール・ジャファル・ムハンマド・アリー・エブラーヒーミー(1954年生まれ)は、通称アブー・マフディー・アル=ムハンディスとして広く知られる、著名なイラク=イランの民兵司令官であり政治家だった。彼はイラク国内で主としてシーア派の準軍事組織を組織・指揮する上で中心的な役割を果たし、とりわけカタイブ・ヒズボラの指導者、また人民動員軍(PMF、アル=ハシュド・アル=シャアビー)の上級幹部として知られた。彼のアラビア語名とクンヤは、アラビア文字ではجمال جعفر محمد علي إبراهيميおよびأبو مهدي المهندسと表記されることがある。
経歴と初期の年
彼の若年期については、しばしば大まかな説明がなされる。イラクと周辺地域が激動した時代に台頭し、亡命生活を送りながら、サダム・フセイン政権との対立期にはイラン当局と歩調を合わせた。数十年にわたりイラクのシーア派武装勢力の間で人脈を築き、イラン革命防衛隊およびその対外作戦部門と密接な関係を維持していたとされる。こうした結びつきが、2003年のサダム・フセイン失脚後のイラク政治と治安における彼の後の役割を形づくった。
役割と組織運営
アル=ムハンディスは、2003年の侵攻後の武装抵抗に参加し、のちにイスラム国(ISIS)と戦った武装組織、カタイブ・ヒズボラの指導者として最もよく知られている。2014年のISIS攻勢を受け、イラクは多くの民兵を統合する国家公認の包括組織として人民動員軍の創設を承認した。アル=ムハンディスはPMFでも最も影響力の大きい司令官の一人となり、イラク各地で戦闘員、兵器の流れ、地域治安の調整を事実上統括する立場にあった。
法的問題と国際的指定
彼の経歴には、イラク国外での攻撃に関する非難や有罪判決が含まれる。1983年のクウェートでの一連の爆破事件への関与を理由にクウェートの裁判所で不在裁判により有罪とされ、この事件は彼の活動を批判する側によって繰り返し引用されてきた。米国は彼をテロリストとして指定し、ほかの複数の政府も、暴力への関与や外国の支援者との結びつきを理由に制裁や渡航制限を科した。これらの आरोपは、彼の経歴を報じる際にしばしば言及され、クウェート有罪判決クウェート爆破事件もその一つである。
死とその後
2020年1月3日、アブー・マフディー・アル=ムハンディスはバグダード国際空港での米軍空爆で殺害された。この攻撃ではイランのガーセム・ソレイマーニー少将も死亡した。彼の死はイラクと地域全体に直ちに政治的・軍事的な波紋を広げ、抗議行動、公式調査、そしてイラク国内でのPMFの役割と法的地位、さらにイラク領土上での外国の軍事行動をめぐる議論を再燃させた。
遺産と意義
- 支持者からは、ISISとの戦いにおける重要な組織者であり、イラクのシーア派共同体を守る人物と見なされている。
- 批判者や複数の政府は、イラクの主権を損ない、地域の不安定化に寄与した武装勢力の一員とみなしている。
- 彼の経歴は、2003年以後のイラクにおいて、非正規民兵、国家機関、外国の影響の境界が曖昧であったことを示している。
アブー・マフディー・アル=ムハンディスに関する議論は、イラクの安全保障体制、イランの地域政策、そして民兵を国家組織へ統合することをめぐる法的論争の分析の中で今も続いている。背景をさらに知るには、彼の経歴に関わる組織や出来事についての詳細な報告書や一次資料を参照するとよい。