アリ・アブドッラー・サーレハ(1947–2017)|イエメン元大統領の生涯と暗殺

イエメン初代大統領アリ・アブドッラー・サーレハ(1947–2017)の波乱の政治人生、長期政権と2017年暗殺の全貌を詳述。

著者: Leandro Alegsa

アリ・アブドラ・サレハ(アラビア語: علي عبدالله صالح、1947年3月21日 - 2017年12月4日)は、北イエメン出身の政治家で、長年にわたりイエメンの実権を握った人物です。1978年から1990年までイエメン・アラブ共和国(北イエメン)の大統領を務め、1990年の南北イエメン統一後は統一イエメン共和国の初代大統領として2012年まで在任しました。政権は長期にわたり続き、1978年以降イエメンで最も長く国家元首の地位にあった指導者の一人です。

出自と軍歴

サレハはサナア近郊のサンハーン部族(民族的にはザンジバーや山間部の出自)に生まれ、若年期に軍に入隊してキャリアを開始しました。1960年代から70年代にかけて軍・治安部隊で昇進し、部族間の調停や政軍関係の構築を背景に政治的影響力を高めました。1970年代後半、政情不安と指導者の交代が続く中で、1978年に北イエメンの大統領に就任しました。

大統領として(1978–2012)

北イエメン大統領として、サレハは部族ネットワークと軍を基盤に権力を確立しました。1990年の南北統一後は統一国家のトップとして、国家統合と中央集権化を進める一方で、汚職と縁故主義が横行し、政権はしばしば独裁的との批判を受けました。1994年には南部の反乱(南北内戦)を武力で鎮圧して統一体制を維持し、1999年と2006年の選挙で再選を重ねましたが、選挙や政権運営は自由・公正さに欠けるとの国際的批判を受けました。

国内情勢と安全保障の課題

サレハ政権下での重要課題には経済停滞、失業、汚職、部族と中央政府の軋轢がありました。また、南部分離主義や北部のフーシ派運動、さらにイスラム過激派(後のアル=カイダ系組織)によるテロ活動が続き、治安面での不安定さが続きました。米国や湾岸諸国との安全保障協力や軍事支援も行われましたが、国内の不満は蓄積しました。

2011年の抗議運動と政権交代

2011年のアラブの春に触発された大規模な反政府デモが発生し、サレハ政権は大規模な抗議や武力衝突に直面しました。国内外の圧力を受け、サレハは段階的に権力移譲の合意に応じ、2011年11月には湾岸協力会議(GCC)による和解案に署名しました。最終的に副大統領のアブドルラッボー・マンスール・ハディが暫定大統領となり、2012年2月に正式に職を譲りました。これによりサレハの長期政権は終焉を迎えましたが、彼は与党・人民会議(GPC)の影響力と部族的ネットワークを通じて政治的な存在感を維持しました。

退任後の動向とフーシ派との同盟

退任後もサレハは政治的影響力を保ち、2014年以降に勃発したフーシ派の台頭では当初これと妥協・同盟を結び、事実上サナアを含む北部での実力均衡に関与しました。フーシ派(フーシ運動)はザイド派シーア派系の武装勢力で、サレハとの同盟は両者にとって利害の一致部分があったとされています。

決裂と暗殺(2017年)

2017年12月に入り、サレハはフーシ派との同盟を解消し、以前の敵対勢力であったサウジアラビアやアラブ連合(特にアラブ首長国連邦)側、そして国際的に承認されたハディ大統領側に接近する動きを見せました。これにより同盟関係は激しく悪化し、12月4日、首都サヌアでの戦闘が激化する中、サレハは移動中に負傷し、その後死亡しました。死因については現場での銃撃や砲撃、狙撃手によるものとする報道が混在しており、精確な状況については報道により異なります。フーシ派は、サレハを転じさせた背景にアラブ首長国連邦など外部勢力の関与があると非難しました。

評価と遺産

  • 支持者は、サレハを「安定維持に一定の役割を果たした指導者」とみなし、地域の部族バランスを操りながら長期政権を維持した政治手腕を評価します。
  • 批判者は、権威主義・汚職・人権侵害・縁故主義を指摘し、彼の統治がイエメンの構造的問題(経済的脆弱性、政治的不平等、地域対立)の一因であると非難します。
  • 死後、サレハの暗殺はイエメン南北を超えた複雑な内戦と外部勢力の介入が絡む現状をさらに悪化させ、彼の遺した政治的ネットワークはその後の抵抗勢力や派閥形成に影響を与え続けています。

サレハの生涯は、冷戦後の中東における国家形成、部族政治、外部勢力の介入が複雑に絡んだイエメンの現代史を理解するうえで重要な一章となっています。

質問と回答

Q: アリ・アブドラ・サレハとは誰ですか?


A: アリ・アブドラ・サレハはイエメンの政治家で、イエメン共和国の初代大統領です。

Q: イエメン共和国大統領になる前のサレハの役割は何でしたか?


A: サレハは1978年から1990年までイエメン・アラブ共和国(北イエメン)の大統領を務めました。

Q:イエメン共和国大統領評議会議長に就任したのはいつですか?


A: 1990年にイエメン共和国大統領評議会議長に就任しました。

Q:イエメンの統治期間は?


A: サレハは1978年以来、イエメンの大統領として最も長く在任しました。

Q: サレハ大統領はいつ退陣を表明しましたか?


A: サレハは2011年2月2日、2013年に退陣すると発表しました。

Q: 2017年に亡くなる前、サレハは誰の味方でしたか?


A:サレハはフーシ派を支持せず、かつての敵であるサウジアラビアとハディ大統領に味方しました。

Q:サレハの死因は?


A:サレハは2017年12月4日、戦闘が続く中、首都サヌアを出ようとしてフーシ派の狙撃手に殺されました。


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