エルマー・ファーガソン:カナダのスポーツ記者・ホッケー殿堂入り(1885–1972)
カナダの名物スポーツ記者エルマー・ファーガソンの生涯と功績を詳述。モントリオールでの活躍からホッケー殿堂入り、記念賞までを紹介。
エルマー・ファーガソン(Elmer Ferguson、1885年2月25日 - 1972年4月26日)は、カナダのスポーツジャーナリストである。プリンスエドワード島のシャーロットタウンに生まれたファーガソンは、1910年にモントリオールに移り、1913年にモントリオール・ヘラルドのスポーツ担当編集者となった。ファーガソンは、当時最も尊敬され、著名なコラムニストの一人であった。1982年にホッケーの殿堂入りを果たし、エルマー・ファーガソン記念賞の命名者でもある。
経歴
シャーロットタウンで生まれ育ったファーガソンは、成人してからモントリオールへ移り、1910年代からジャーナリズムの世界で頭角を現した。1913年にモントリオール・ヘラルドのスポーツ編集を任されて以降、長年にわたり同紙の顔としてスポーツ記事やコラムを執筆した。主にホッケーをはじめとするカナダの主要スポーツを幅広く扱い、地域のスポーツ文化を伝える役割を果たした。
業績と特徴
ファーガソンの文章は明快で読みやすく、時に辛辣な論評を交えながらも事実に基づく取材を重視するスタイルが特徴だった。試合の戦術的分析や選手評、チーム運営への批評などを通じて、読者にスポーツの深い理解を促した。モントリオールというスポーツ熱の高い土地で継続的に影響力を持ち、多くの読者や後進の記者に影響を与えた。
ホッケー殿堂と記念賞
ファーガソンの長年の功績は、1982年のホッケーの殿堂(Hockey Hall of Fame)入会という形で顕彰された。さらに、その名はホッケー報道の優秀さを称えるための賞、エルマー・ファーガソン記念賞にも残されており、優れたホッケー記者やメディア関係者を讃える象徴となっている。
遺産と評価
ファーガソンは単に記事を書く記者にとどまらず、スポーツジャーナリズムの基準を高めた人物として評価されている。公正な取材姿勢と説得力のある文章で、スポーツ報道の社会的役割を強めたことが後世に伝わっている。1972年に亡くなった後も、その名前と仕事ぶりはカナダのスポーツ界、特にホッケー報道の分野で長く尊敬され続けている。
キャリア
6歳のとき、ニューブランズウィック州モンクトンの路上で新聞を売り始め、17歳のときにモンクトン・トランスクリプト紙のコピーボーイとなった。その後、スポーツライターとなり、1910年に編集長に就任した。ファーガソンが編集長を務めたMoncton Transcriptは、スポーツページを毎日掲載する最初の海運新聞となった。
その後、ファーガソンはモントリオールに渡り、モントリオール・ヘラルド紙の編集者になった。1913年に同紙のスポーツ担当編集者となり、すぐに「The Gist and the Jest of It」というコラムで有名なスポーツジャーナリストとなった。同紙のスポーツ担当編集者を39年間務め、1957年にヘラルド紙が廃刊になるまでコラムを書き続けた。1972年に亡くなる数カ月前まで、モントリオール・スター紙でコラムを書き続けた。
紙媒体での仕事に加え、モントリオール・マルーン(1933-1938)とモントリオール・カナディアンズ(1938-1967)のラジオ放送でカラー解説者を務め、殿堂入りしたダグ・スミスやダニー・ガリバンとコンビを組んでいた。
ファーガソンは、1968年にビルダーとしてカナダのスポーツ殿堂入りを果たした。1984年、ファーガソンは最初のホッケー殿堂メディア栄誉賞の一人に認定された。授与される賞は、彼の名誉を称え、エルマー・ファーガソン記念賞と命名された。
百科事典を検索する