ジャアファル・ニメイリ(ガアファル・ムハンマド):スーダン大統領1969–1985の経歴と政策

ジャアファル・ニメイリ(1969–1985)の政治経歴と政策を詳述。軍事クーデター、アディスアベバ協定、シャリア導入と内戦への影響を解説。

著者: Leandro Alegsa

ガアファル・ムハンマド・アン・ヌメイリーは、1969年から1985年までスーダンの大統領を務めた軍人・政治家である。氏名は一般にジャアファル・ニメイリガアファル・ニメイリ、またはガファル・ムハンマド・ヌメイリなどと表記される。軍事クーデターによって権力を握った後、長期の支配を通じて内政・外交ともに大きな変化をもたらした指導者である。

政権掌握と初期の政治

1969年のクーデターで政権を獲得したニメイリーは、当初は社会主義的・反植民地主義的な色彩の強い政策を推進した。1971年には左派(共産主義者)によるクーデター未遂や政治的対立を経験しつつも政権を維持し、1970年代前半には国有化や土地・教育・保健に関する改革を進めた。

アディスアベバ協定と南部和平

1972年、ニメイリー政権はアディスアベバ協定に署名し、第一次スーダン内戦(北部中心政権と南部反政府勢力の対立)を終結させた。この協定は南スーダンに広範な自治を認める内容で、一定期間にわたり国内の安定と平和をもたらした点は評価されている。

経済政策と外交の変化

政権は時期により政策の方向性を変えた。初期の国家主導型経済政策から、1970年代後半以降は外資や西側諸国との関係改善を図る場面もあり、国内外の勢力とバランスを取る複雑な外交を展開した。また、経済の低迷やインフレ、債務問題などが深刻化し、社会的な不満も高まっていった。

イスラーム化と第二次内戦への移行

1983年、ニメイリーはシャリアを国家法体系の中心に据える政策を打ち出し、イスラーム法の適用を強化する措置(いわゆる「シャリア法」)を実施した。これにより、非イスラーム系住民が多い南部との溝が再び深まり、第二次スーダン内戦につながる原因の一つとなった。シャリア導入は国内の宗教・地域間対立を激化させ、国民統合を損なったと批判されている。

失脚と亡命

経済困難と政治的対立、治安の悪化を背景に、1985年に政権は崩壊し、ニメイリーは権力の座から降ろされた。その後、政情不安を避けてエジプトに亡命した。亡命先では公的な政治活動は限定的となり、帰国を果たすことなく公的生涯を閉じた指導者として記憶される。

評価と遺産

ニメイリーの評価は賛否が分かれる。1972年のアディスアベバ協定による和平実現は肯定的に評価される一方で、後年のシャリア導入や権威主義的統治、経済失政が国内分裂と長期紛争の遠因になったという批判も強い。彼の時代はスーダン近代史における重要な転換点を含んでおり、南北関係、宗教と国家の関係、軍と民政の関係に与えた影響は大きい。

総じて、ジャアファル・ニメイリは「和平をもたらしたが深刻な分断も生んだ」指導者として、現代スーダン史の中で複雑な位置を占めている。



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