ゲンナジー・ヤナイェフ:ソ連副大統領で1991年8月クーデター首謀者
ゲンナジー・ヤナイェフ—ソ連初の副大統領。1991年8月クーデター首謀の経緯や政治経歴、逮捕から恩赦までを詳述する決定版記事。
ゲンナジー・イワノビッチ・ヤナエフは、ソビエト連邦の政治家である。(1937年–2010年)
ヤナエフ氏は、いくつかの政治的役職を歴任した。フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコの各政権下で党や官僚機構の要職を務め、党内の保守派に属した。ゴルバチョフによって1990年にソビエト連邦の最初で唯一の副大統領に選出され、連邦政府の上位ポストに就いた。
しかし1991年8月、ヤナエフは保守的な指導者らと結託して「8人組」と呼ばれる非常事態委員会(GKChP)を結成し、ミハイル・ゴルバチョフ大統領が職務不能であると宣言して実権を握ろうとした。ヤナエフは一時的に「代行大統領」を名乗り、クーデターを主導した。このクーデターはモスクワや各地での市民的不服従、ボリス・エリツィンらの抵抗、また装甲車や軍部内部のまとまりの欠如のために3日間で頓挫し、ヤナエフらは終結後に拘束された。ヤナエフは逮捕され、その後起訴されたが、1994年に国家議会により恩赦が与えられ、公職追放や刑事責任を事実上免れた。
クーデターの失敗はソビエト連邦の解体を早める重要な契機となり、ヤナエフ自身は以後公の政治舞台から退き、その後は公的活動を大きく縮小して過ごした。2010年に死去するまで、彼の行動はソ連末期の政治的混乱と保守派の反応を象徴する出来事として歴史的に評価されている。
勲章・褒章
- 労働赤旗勲章 2回
- 勲二等瑞宝章
百科事典を検索する