アンリ・コルネ(Henri Cornet、1884年8月4日 - 1941年3月18日)は、1904年の第2回ツール・ド・フランスで優勝したフランスの自転車選手で、ツール史上最年少で総合優勝を果たした選手として知られています。
出身と初期経歴
フランスのパ・ド・カレ州デヴル出身。若くして実戦に出場し、18〜19歳の若さでツール・ド・フランスに挑みました。特にタイムトライアル形式のレースで速さを見せる選手として評価されていました。
1904年ツール・ド・フランスと優勝の経緯
1904年大会はスタートから不正行為や観客による妨害が相次ぎ、レース専用道路に釘がまかれるなどの事件も起きました。観客の暴力や列車・車の不正使用などが多数報告され、フランス自転車競技組合の特別委員会が調査を行った結果、上位入賞者の多くが失格処分を受けました。
当初の上位選手たちは失格となり、最終的に総合成績に基づいて若きアンリ・コルネが優勝者として認定されました。これによりコルネはツール史上最年少の総合優勝者となっています(大会当時19歳でした)。この騒動は大会創始者アンリ・デグランジュも「この大会が最後になるかもしれない」と語るほど深刻なものでした。
不正に関与したとされる選手のうち、優勝していたモーリス・ガランは出場停止処分(2年間)を受け、その後現役を退きました。その他にも何名かが長期または終身の出場停止処分を受け、9名のサイクリストが車や列車の違法使用を理由に除外されるなど、1904年大会は歴史的な混乱の年として語り継がれています。
その後のキャリア
- 1905年のツールでは第4ステージで棄権。
- 1906年には名門クラシックの一つであるパリ・ルーベで優勝するなどの実績を残しました。ただし、同年のツール・ド・フランスは出走できませんでした。
- 1907年もツールを断念する年がありましたが、1908年にはツールで総合8位に入り、最終レグの特別タイムトライアル(パリのベロドロームで行われた非公式の最終競技)で勝利しています。現在ではこの種の競技がタイムトライアルとして認識されています。
- 1912年に最後のツール・ド・フランスに出場し、総合28位でフィニッシュしました。
人物像と評価
コルネは特に短距離の個人走(現在でいうタイムトライアル)に強みを持ち、スピードと粘り強さが評価されました。一方で、1904年の混乱以降はツールで大きなタイトルを重ねることはなく、プロ人生は波のあるものでした。
主要成績(抜粋)
- 1904年 ツール・ド・フランス 総合優勝
- 1906年 パリ・ルーベ 優勝
- 1908年 ツール・ド・フランス 総合8位(最終レグのタイムトライアル優勝)
- 1912年 ツール・ド・フランス 総合28位(最終出場)
その後は競技から身を引き、1941年に56歳でプルネイ・ル・ギヨン、ユーレ・エ・ロワールで死去しました。1904年大会の混乱とその結果としてのコルネの優勝は、ツール・ド・フランス史における重要な出来事として今日でも語り継がれています。

