ウンベルト・デ・アレンカル・カステロ・ブランコ(1897–1967)とは:1964年ブラジル軍事クーデター後の初代大統領
ウンベルト・デ・アレンカル・カステロ・ブランコ(1897–1967)—1964年のブラジル軍事クーデター後に初代大統領を務めた軍人政治家の軌跡と1967年の航空事故死を解説。
ウンベルト・デ・アレンカル・カステロ・ブランコ元帥(ポルトガル語発音:[ũɛʁ al_1EBD↩ kaɛ 'bɞ]) (1897/09/20 - 1967/07/18) はブラジル軍の指導者で政治家であった。1964年の軍事クーデター後、ブラジル軍政の初代大統領を務めた。カステロ・ブランコは大統領職を終えた直後の1967年7月に航空機の衝突事故で死亡した。
経歴と軍歴
ウンベルト・カステロ・ブランコは1897年に生まれ、長年にわたってブラジル陸軍でキャリアを積んだ。1930年代以降の政治的混乱と軍の役割の拡大を背景に、軍の上層部として信頼を得ていった。退役に近い高年齢であったが、1964年の政治危機の際に軍内部で妥協的かつ管理能力のある指導者とみなされ、最高責任者として擁立された。
1964年クーデターと大統領就任
1964年の政変(軍事クーデター)によってジョアン・グラール政権が崩壊すると、軍部は国家の安定化を目的としてカステロ・ブランコを大統領に選出した。彼は公式には1964年4月に政権を掌握し、1967年3月まで在任した。就任の名目は「秩序回復」と「共産主義の抑止」であったが、その過程で民主的制度の制限が進められた。
統治と政策の特徴
- 政治統制の導入:カステロ・ブランコ政権は「制定法(Ato Institucional)」と呼ばれる一連の命令を通じて、政治的対立勢力を抑制し、議会や選挙の仕組みを制約した。中でも1965年に出された第2次制定法(AI-2)は既存の政党を解体し、事実上の二大政党制を導入するなど政治的再編を進めた。
- 反共産主義と治安対策:政権は強い反共産主義路線を取り、左派勢力に対する監視・摘発を強化した。政治家や活動家の職務停止・追放・逮捕などが行われ、言論統制や検閲も行われた。
- 経済・行政の近代化志向:経済面では安定化と財政引き締めを重視し、外資導入や技術導入を奨励するなど、官僚的・技術的な手法による近代化を図った。軍政初期の「秩序回復」と「成長促進」を掲げる政策が取られた。
死と評価
カステロ・ブランコは大統領任期を終えた直後の1967年7月18日に航空機の衝突事故で死亡した。死後、彼の評価は大きく分かれている。支持者は彼を「国の秩序を回復した指導者」と見なし、初期の軍政による経済的・行政的安定化を評価する。一方で批判者は、彼の政権が民主主義の根本を侵害し、多くの政治的自由と人権を制限した点を強く非難している。カステロ・ブランコの統治は、その後の長期的な軍事独裁(1964–1985年)への橋渡しとして歴史的に重要かつ論争的な位置を占め続けている。
補記
彼の政治的決定や制定法は、その後の政権(1967年以降のより強硬な軍政)に引き継がれ、ブラジル政治の構造を大きく変えた。歴史的評価は資料の解釈や政治的立場によって分かれるため、研究・解説は多角的に参照することが望ましい。
私生活
カステロ・ブランコは、ブラジル北東部の裕福な家庭で生まれた。父カンジド・ボルヘス・カステロ・ブランコは将軍であった。母親のアントニエタ・アレンカール・カステロ・ブランコは、作家のホセ・デ・アレンカールを含む知識人の家系の出身である。
アルゼンチン・ヴィアンナと結婚し、ニエタとパウロという2人の子供がいた。
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