カルダム・トゥルノヴォ公(1962年–2015年)
ブルガリアの王子で、シメオン2世の長男。歴史的なトゥルノヴォ公の称号の継承者とされ、2008年の交通事故で重傷を負い、長期的な合併症の後に2015年に死去した。
概要
一般にトゥルノヴォ公として知られるカルダムは、1962年12月2日、元君主シメオン2世とドニャ・マルガリータ・ゴメス=アセボ・イ・セフエラの長男として生まれた。ブルガリアの君主制は彼の出生前に廃止されていたが、カルダムは時に皇太子または推定相続人として称され、継承者に結び付く伝統的なトゥルノヴォ公の称号を用いた。トゥルノヴォは、歴史的に継承者を指す呼称であった。
生涯と家族
王族一家の亡命後、カルダムは主としてブルガリア国外で育った。成人後の大半はスペインで暮らし、公的な国家職務を担うのではなく、私的な事業と家族に関する活動を維持した。結婚して子をもうけ、その家族はブルガリア旧王家とつながる人々の間で重要な存在であり続けた。一家の地位は、歴史的・儀礼的な承認と、王室称号に憲法上の権能がない共和国という現実の双方を併せ持つものだった。
称号と公的役割
君主主義および王朝に関する文脈では、カルダムはいくつかの公爵位の形式で知られ、旧王室に関係する慈善行事や私的行事に出席した。彼は政府権限を行使せず、その公的な人物像は、家系、時折の公的活動、そして共産主義体制後に進んだブルガリア王政の過去に対する再評価によって形作られた。
事故、病気と死去
2008年、カルダムは交通事故で重傷を負い、健康に長期的な影響が残った。長期にわたる治療とリハビリテーションを受けたものの、完全には回復しなかった。2015年4月、重篤な呼吸器疾患と肺の感染症に関連する合併症の後、マドリードの病院で死去した。報道では、以前の事故から続く合併症が衰弱した状態と感染症へのかかりやすさに寄与したとされ、医療施設である病院で息を引き取った。
遺産と主な事項
- カルダムは、1946年以前のブルガリア王政とその王朝的伝統を現代に結ぶ存在だった。
- 彼の生涯は、政治的変化の後に王族が亡命生活と私生活へどのように適応したかを示している。
- その死去に際しては、君主主義団体とブルガリア王室史を知る人々から哀悼の意が表された。
カルダムに関連する称号は現代のブルガリアでは儀礼的なものであるが、その伝記は亡命、遺産、事故による負傷がもたらす個人的な影響に触れる、同国の20世紀および21世紀の歴史的叙述の一部であり続けている。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com カルダム・トゥルノヴォ公(1962年–2015年) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/123275
出典
- kingsimeon.bg : Biography HRH Prince Kardam of Turnovo
- sofiaglobe.com : "Kardam, son of Bulgaria's last king, dies at 52"