レオポルド3世(出生名:Léopold Philippe Charles Albert Meinrad Hubertus Marie Miguel、1901年11月3日 - 1983年9月25日)は、1934年から1951年の退位までベルギー国王を務めた。父のアルベール1世の後を継ぎ、その治世は、1940年のベルギー敗北をめぐる難しい判断と政治的対立、そして戦後復興との関わりで記憶されている。
治世と第二次世界大戦
レオポルドは1934年2月に即位した。1940年5月のドイツ侵攻の際、彼はベルギー軍と行動をともにするという論争の的となった決定を下し、のちにドイツ軍へ降伏した。この選択により、政府は国外へ退避して亡命政府を樹立し、国王と政府は分かれることになった。占領下での彼の立場、すなわち拘束状態とベルギーの諸機関との限られた連絡は、支持者と批判者の双方にとって大きな争点となった。
「ロイヤル・クエスチョン」と退位
解放後、レオポルドの戦時中の行動をめぐる議論から、いわゆる「ロイヤル・クエスチョン」が生じた。すなわち、ドイツの管理下に置かれ、占領期間中も国内にとどまっていた君主が、再び憲法上の職務に就くべきかという問題である。王家の一員が摂政として一時的に国政を担ったが、激しい政治的・社会的分裂は続いた。レオポルドがベルギーに戻ると、デモやストライキが対立の深さを示した。1951年、彼は長男のボードゥアンに王位を譲ることを選び、差し迫った危機は収束した。
私生活と家族
レオポルドの私生活も注目を集めた。彼はスウェーデン王女アストリッドと結婚し、彼女の悲劇的な死後にリリアン・バエルスと再婚したが、この結婚は時期と事情から世論の議論を呼んだ。子どもにはボードゥアンと、のちに即位することになる弟アルベールがいた。レオポルドは晩年の大半を公務から退いて過ごし、1983年に死去した。
主な事項
- 1934年、父の死去に伴い即位した。
- 戦時中の決断は、「ロイヤル・クエスチョン」と呼ばれる長期の憲法危機を引き起こした。
- ベルギー社会のさらなる分裂を避けるため、1951年に退位した。
- 2人の国王、ボードゥアンと、のちのアルベールの父である。
レオポルド3世は、ベルギー史において今なお論争の的となる人物である。務めへの献身を評価する声がある一方で、王権の中立性を損なったと見る批判もある。歴史家たちは彼の動機や当時の政治的圧力を現在も議論しているが、彼の治世が20世紀半ばのベルギー政治と、戦後の君主制の変化に大きな影響を与えたことは疑いない。