ルイ=アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル:世界一周航海とブーガンヴィル島の由来

ルイ=アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルの世界一周航海とブーゲンビル島命名の真相、太平洋での探検・植物収集と精密な海図作成の軌跡を詳述

著者: Leandro Alegsa

ルイ=アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル(1729年11月12日 – 1811年8月31日)は、フランスの提督であり、航海士である。1766年に政府から派遣され、1766年から1769年にかけての世界一周と呼ばれる遠征を指揮した。この航海で彼は太平洋での重要な発見や観察を行い、後の地理学・博物学・航海術に大きな影響を与えた。

世界一周航海(1766–1769)と太平洋での活動

ブーガンヴィルは1766年に二隻の艦(代表的には〈Boudeuse〉と〈Étoile〉)を率いて出航し、1768年には太平洋の彼の航路で特に重要な寄港地であるタヒチ島に到達した。タヒチでは短期間滞在して一部をフランス領として主張し、この地の自然や文化に関する詳細な記録を残した。航海中、彼は1768年にソロモン諸島を再発見(ヨーロッパ人にとっては再び発見した)し、諸島の中で大きな島の一つは彼の名に因んで「ブーガンビル島」と名づけられた。なお、このブーガンビル島はソロモン諸島群の中では最大級の島であるが、現在は行政上パプアニューギニアに属している点も付記しておく。

航海では海図の作成にも力を入れ、太平洋の中央部に関する比較的信頼できる海図や陸地の観察記録を残した。また、航路上でグレート・バリア・リーフの一部を視認した記録があり、礁や浅瀬の存在を知る手がかりを提供したが、彼はオーストラリア本土の沿岸を詳細に探査したり、体系的に測量して精密な地図を作るまでには至らず、結果的にオーストラリアを“発見”することはできなかった。

博物学的貢献と「ブーゲンビリア」命名

ブーガンヴィルの航海には博物学者や植物採集家も同行しており、船上で集められた植物標本や民族誌的観察はヨーロッパに大きな関心を呼んだ。特に植物学者のフィリベール・コムソン(Philibert Commerson)によって採集された鮮やかな花の標本は、後に属名として「Bougainvillea(ブーゲンビリア)」と命名され、彼の名は植物学上でも残ることになった。

著作とその影響、晩年

帰国後、ブーガンヴィルは航海記『Voyage autour du monde』を1771年に刊行し、太平洋諸地域の風景・習俗・自然史についての生き生きとした記述でヨーロッパ社会に大きな反響を与えた。この著作は当時の「ノーブル・サヴェージ(高貴な野蛮人)」論や自然状態を巡る議論にも影響を及ぼし、多くの読者の想像力をかきたてた。

その後ブーガンヴィルは軍人としても活動を続け、後年には提督としての地位や政治的な役割も果たした。1811年にパリで亡くなったが、彼の名は島の地名や植物名として残り、18世紀における太平洋探検の重要人物として評価されている。

評価と遺産

  • 地理的貢献:太平洋中央部の海図作成や島々の報告により後続の航海に役立った。
  • 文化・学術的影響:航海記によって欧州の太平洋観を変え、博物学的標本収集にも大きな足跡を残した。
  • 命名に関する遺産:ブーガンビル島や観賞用植物ブーゲンビリアなど、彼の名は地名・植物名として世界に残っている。
積分計算の理論 、1754年Zoom
積分計算の理論 、1754年



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