マーガレット・マッカール・スミス・テイラー(Margaret Mackall Smith Taylor、1788年9月21日 - 1852年8月14日)は、アメリカ合衆国大統領ザカリー・テイラーの妻で、1849年から1850年までアメリカ合衆国のファーストレディを務めた。親しい人々からは「ペギー・スミス」とも呼ばれた。
生い立ちと結婚
マーガレットはメリーランド州カルバート郡で生まれた。母はアン・マッコール、父はウォルター・スミスで、父はアメリカ独立戦争の少佐として従軍していた。1809年、ケンタッキーの姉を訪ねていた際に、当時中尉であったザカリー・テイラーと出会い、二人は1810年6月に結婚した。 結婚当初は、父親からの結婚の贈り物として得た農場にしばらく滞在し、そこで第一子を出産したが、その後は夫と共に暮らすようになった。テイラーの駐屯地は西部の前線を転々としており、マーガレットも夫とともに各地を移動しながら軍隊の生活を支えた。
家族と子どもたち
夫妻には子どもが数人あり、幼くして亡くなった子もいた。テイラーの説明によれば、1820年に二人の娘が「激しい胆汁熱」で死亡したという記録が残る。残された子どもたちは成人していき、軍人家庭の厳しい生活を身近に経験して育った。テイラーは娘たちが軍人と結婚することに反対することがあったが、結果的に数人の娘がアメリカ陸軍の軍人と結婚している。
ファーストレディとして
ホワイトハウス在任中のマーガレットは、公的な社交行事や公式の式典への出席を好まず、主に私的な家事や家庭内の行事に専念した。公的なレセプションや社交界の先頭に立つことは避け、ホワイトハウスでの公式ホステスの役割は主に末娘が担った。末娘のメアリー・エリザベス・ブリスは、母が公式行事を控える間に母の代理としてホステスを務めた。
晩年と評価
夫であるザカリー・テイラーが在任中に亡くなったため、マーガレットのファーストレディとしての公的な期間は短かった。その後は公の場から遠ざかり、私生活に戻って静かな晩年を送った。1852年に亡くなり、その生涯は家族と軍隊生活に深く結びついたものとして記憶されている。一般には、社交よりも家庭を重んじる控えめで実直なファーストレディとして評価されることが多い。