概要
ネジメッティン・エルバカン(1926年10月29日 – 2011年2月27日)は、トルコの技術者であり政治家で、戦後トルコにおける政治的イスラムの最も重要な人物となった。彼はミッリ・ギョルシュ(国民視線)という理念を軸にした一連の政党を率い、宗教保守派の政治を国家レベルへと押し上げた。1996年から1997年にはトルコ首相を務めたが、その任期は世俗主義の体制から強い圧力を受けて終わった。
生い立ちと経歴
エルバカンは技術者として訓練を受け、工学の知識に加えて活動力と組織力を備えていた。長年にわたり、地方の小都市や保守的な県の有権者に訴える規律ある運動を築き上げ、道徳的価値観、経済発展、そして無批判な西洋化への批判を重視した。彼の手法は、宗教に प्रेरされた社会的目標を政党政治へと移し替えることを目指していた。
政治運動と政党
エルバカンは、異なる政治時代を通じてミッリ・ギョルシュの旗印を掲げる複数の政党を創設し、また率いた。これらの政党の多くは、トルコの世俗的諸制度との緊張関係もあり、国家当局によって解散または禁止された。彼に関連する主要政党には次のものがある。
- 国民秩序党(MNP)
- 国民救済党(MSP)
- 福祉党(RP)
- 美徳党(FP)
- 幸福党(SP)
これらの組織は、社会保守主義、市場志向の開発、そして国家の尊厳への強調を組み合わせていた。こうした流れはトルコ政治の中で独自の潮流を形成し、単に「ミッリ・ギョルシュ」と呼ばれることも多い。彼の政党とその歴史の簡潔な一覧は イスラム主義政党 を参照。
首相在任と1997年の危機
エルバカンは1996年に連立政権の首班となった。彼の首相在任は、彼の政策をトルコの世俗的憲法と両立しないとみなした軍、司法、世俗エリートの一部から継続的な反発を招いた。1997年には、軍とそれに連なる諸機関が一連の措置と世論圧力を突きつけ、彼は辞任に追い込まれた。論者はしばしばこの出来事を「ポストモダン・クーデター」と呼ぶ。その後、法的措置を受けて彼の党は後に禁止され、彼自身もしばらくの間、積極的な政治活動を禁じられた。在任期の概要は トルコの首相 を参照。
遺産と意義
エルバカンは今なお賛否の分かれる人物である。支持者は、宗教保守派を主流政治へ引き入れ、新しい世代の政治家に影響を与えた点を評価する。一方、批判者は、彼の運動が共和国の世俗的基盤に挑戦したと論じる。彼のネットワークの要素は2000年代に新たな政党や政治勢力へと発展し、その中にはより実務的な路線を採るものもあれば、エルバカン本来のアイデンティティと道徳的再生への強調を維持するものもあった。近代トルコ政治史における彼の役割は、同国の政党システムと公共生活の再編において決定的だったと広くみなされている。