ネ・ウィン:ビルマの軍人・大統領(1962–1981)、1962年クーデターと社会主義党の創設者
ネ・ウィン:1962年クーデターで権力を掌握しビルマ社会主義計画党を創設。1962–1981年の大統領としての統治と改革、影響の全貌を解説。
Ne Winは、ビルマの政治家、軍司令官。1962年から1981年までビルマ大統領を務めた。大統領になる前は首相であった。Ne Winは1962年にビルマ社会主義計画党を設立した。
1962年のクーデターと政権掌握
1962年3月2日、ネ・ウィンはビルマの政府を掌握した。彼は連邦革命評議会の議長として国家元首になり、首相にもなった。彼の新政権は憲法を廃止した。また、ビルマ国会を廃止した。1964年、彼はビルマ社会主義計画党をビルマで唯一の政党とした。
このクーデターは「秩序回復」と経済・政治の刷新を掲げた軍主導の政権移行であり、以後ネ・ウィンは軍と党を通じて国家運営を一手に担う体制を築いた。
政策と統治の特徴
ネ・ウィン政権は独自のイデオロギーを掲げ、俗に「ビルマ式社会主義(Burmese Way to Socialism)」と呼ばれる経済・社会政策を進めた。これには主要産業と銀行の国有化、私企業活動への規制、外国資本の排除、中央集権的な計画経済の導入などが含まれる。
その結果、初期には統制と秩序の回復が評価される一方で、長期的には経済の停滞、国際的孤立、物資不足やインフラの老朽化が進行した。言論・集会の自由は厳しく制限され、反政府活動や民族派武装グループに対する軍事的抑圧も続いた。
1974年の新体制と首相任命
1974年3月2日、ネ・ウィンは革命評議会を終了させ、ビルマ連邦社会主義共和国を成立させた。彼は大統領に選出された。そして、セイン・ウィン准将を首相に選んだ。
1974年憲法は大統領制と一党支配を制度化し、統治の正当化と政権の継続を図った。しかし実際には経済政策の失敗と官僚主義の蔓延が問題を深刻化させ、国民生活の改善には結びつかなかった。
晩年とその後の評価
公式には1981年に大統領職を辞した後も、ネ・ウィンは党と軍を通じて長く政治的影響力を保持した。1980年代後半には経済危機と市民の不満が高まり、1988年の大規模な民主化要求デモ(8888蜂起)などを契機に政治的地位は大きく揺らいだ。
評価は極めて分かれている。支持する立場からは「国家の統一と秩序を保った」とする見方がある一方、批判的な立場からは「経済的後退と政治的抑圧を招いた独裁者」とされる。いずれにせよ、ネ・ウィンの統治はビルマ(ミャンマー)の近現代史に深い影響を残した。
補足(統治の具体例と影響)
- 経済面:大規模な国有化と市場閉鎖により民間経済は縮小し、国外投資は激減した。
- 社会・文化面:言論統制、検閲、教育・宗教活動への介入が行われ、市民生活の自由が制約された。
- 安全保障:少数民族地域では武力衝突が続き、長期的な和平は実現しなかった。
ネ・ウィンはビルマの現代史を語る上で中心的な人物であり、その政策と統治の是非は現在も国内外で議論が続いている。
百科事典を検索する