ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ウンベルト1世の後を継ぎ、1900年から1946年の退位までイタリア王として在位した。1869年にサヴォイア家に生まれた彼の治世は、イタリアの工業化と植民地拡張、2度の世界大戦、ファシズムの成立と衰退、そして王政そのものの終焉までを含む、激動の時代にまたがっている。長期の在位がもたらした継続性で評価される一方、20世紀イタリアを形づくった論争的な判断でも記憶されている。
治世、政治的役割、主要な出来事
ヴィットーリオ・エマヌエーレの立憲上の地位は、象徴的な君主制と限られた留保権を兼ね備えていた。実際には、1922年のローマ進軍後にベニート・ムッソリーニを任命したことをはじめ、危機の瞬間に下した決定がイタリアの進路に大きな影響を与えた。彼の治世には、第一次世界大戦への参戦、1930年代のエチオピア征服(その後、エチオピア皇帝に宣言された)、ファシスト法の制定、そして1943年までドイツと並んで第二次世界大戦に参加したことなど、重要な出来事が含まれる。
在位中の主な出来事は次のとおりである。
- 1900年、父の暗殺を受けて即位した。
- イタリアの外交同盟の変化と第一次世界大戦での役割。
- 1922年のファシスト政権掌握と、一党支配の確立。
- アフリカでの植民地作戦と1938年の人種法。
- 1943年のムッソリーニ罷免、休戦、内戦、そして連合国による解放。
退位、亡命、遺産
第二次世界大戦後、王政はファシズムとの結びつきによって大きく評判を落とした。1946年5月、ヴィットーリオ・エマヌエーレは王冠を守ろうとして息子に譲位し、息子は短期間だけウンベルト2世として即位した。同年夏の国民投票で王政は廃止され、イタリア共和国が成立した。彼は晩年をエジプトでの亡命生活のうちに過ごし、1947年に死去した。
歴史家のあいだでは、その動機と責任をめぐって評価が分かれる。慎重な保守君主であり、消極性が権威主義の定着を許したと見る向きもあれば、立憲制度の制約と当時の激しい社会的力学を重視する見方もある。それでも彼の治世は、立憲君主が革命的な政治運動に影響を与え、同時にそれに飲み込まれうることを示す、近代イタリア史の重要な節目であった。
より詳しい事実背景については、20世紀初頭のイタリアに関する一般的な伝記や一次資料集、ならびにイタリアの歴史を参照されたい。さらに、王室および学術プロジェクトが案内する保管資料にも、追加のアーカイブ資料がある(サヴォイア家関連資料)。