1180年代(1180年–1189年)
ユーラシア各地で王朝交代や戦争が相次いだ10年。日本では源平合戦が終結し、西欧では王権が強まり、聖地ではサラディンの勝利が十字軍国家を揺るがした。
概要
1180年代は1180年から1189年までを指す。この10年は、ヨーロッパ、中東、東アジアにまたがって、決定的な軍事衝突、王位継承、政治再編が進んだ時期であった。各地の紛争や支配者の交代は勢力図を変え、西ヨーロッパでは君主の権威が強まり、聖地ではサラディンが十字軍側の領土獲得を覆し、日本では武家勢力が宮廷貴族に代わって主導権を握った。
主な出来事
- フランス: ルイ7世の死(1180年)によりフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)が即位し、北フランスで王権が次第に強まる時代が始まった。
- イングランドとアンジュー帝国: ヘンリー2世とその息子たちの長年の緊張はこの10年を通じて続き、ヘンリー2世は1189年に死去してリチャード1世が継ぎ、やがて十字軍の準備を進めた。
- 聖地: 1187年のハッティンの戦いと、その後のサラディンによるエルサレム占領は、十字軍国家の勢力を大きく弱め、1189年に始まる第3回十字軍の招集につながった。
- ビザンツ帝国: 反ラテン派の暴力と1185年の皇帝アンドロニコス1世の追放を含む混乱が続き、イサクス2世アンゲロスが不安定な状況の中で即位した。
- 日本: 源平合戦(1180年–1185年)は1185年の壇ノ浦の戦いで決着し、平氏の優位は終わり、源頼朝のもとで源氏政権が成立する土台が築かれた。
- イベリア: 収復運動は各地で続き、1188年にはレオンのコルテスが開かれ、初期の議会的機関の一つとみなされることがある。
特徴と影響
この10年は、すでに進行していた流れを加速させた。すなわち、西ヨーロッパにおける中央集権化の進む君主政、軍事行動に関与する海上都市の存在感の増大、日本とレヴァントにおける政治の軍事化である。サラディンの勝利は東地中海のキリスト教徒とムスリムの関係を組み替え、第3回十字軍に向けて君主や資源の動員を直接促した。ビザンツと西ヨーロッパでは、宮廷クーデターや継承争いが、王権の制度が強まりつつある場所でも王朝支配がいかに脆弱であったかを示した。
文化的・制度的な動き
建築と行政の面でも変化は続いた。大聖堂建設ではゴシック様式が広がり、イベリアとフランスでは議会的・法制度的な仕組みの萌芽が、協議と記録の重視へとゆるやかに移っていく流れを反映した。イタリアの港湾都市と十字軍遠征を結ぶ商業ネットワークも、商人都市の影響力をさらに高めた。
主な人物
- フランス王フィリップ2世
- イングランド王ヘンリー2世、リチャード1世
- サラディン(Ṣalāḥ ad-Dīn)
- 源頼朝、平氏の人々
- アンドロニコス1世コムネノス、イサクス2世アンゲロス(ビザンツ)
1180年代は数ある10年の一つにすぎないが、その軍事的・政治的・制度的出来事は12世紀後半の流れを形づくり、その後の数十年に続く紛争と国家形成の条件を整えた。
著者
AlegsaOnline.com 1180年代(1180年–1189年) Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/133434