ヘンリー・フレデリック(プリンス・オブ・ウェールズ

ヘンリー・フレデリック皇太子(1594年2月19日 - 1612年11月6日)は、ジェームズ1世・6世とデンマークのアンの長男。名前は祖父のヘンリー・スチュアート(ダーンリー卿)とデンマークのフレデリック2世に由来する。

ヘンリー王子は、父の王位を継ぐ優秀な後継者として広く認められていた。しかし、彼は腸チフスのため父より先に亡くなってしまう。このため、イングランドとスコットランドの王座の権力は弟のチャールズに移った。

バージニア植民地には、ヘンリー王子の生前と死後に、王子にちなんだ地名がいくつか付けられた。

アイザック・オリバー後のヘンリー皇太子 1610年頃Zoom
アイザック・オリバー後のヘンリー皇太子 1610年頃

幼少期

スターリング城で生まれ、ロッシー公爵、キャリック伯爵、レンフルー男爵、アイルランドの領主、スコットランドの王子兼大執事となった。父親はマー伯爵のアレキサンダー・アースキンに彼の世話をさせた。母親には面倒を見させなかった。これは、母親がカトリックを少しばかり好んでいることが、息子に何らかの影響を与えるのではないかとジェームズが心配したためである。このため、アンナとジェームズの間で喧嘩が絶えなかったが、ヘンリーは1603年までマール家に預けられることになった。この頃、ジェームズがイングランド王となり、一家は南へ移動した。

イギリスに渡るまで、ザ・バスのジョージ・ローダー卿が彼の師であった。サー・ジョージは枢密顧問官で、王の「親しい参事官」と呼ばれ、またアルフォンソ・フェラボスコの弟から音楽の手ほどきを受けていた。


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