ロンドン・ブライトン・サウスコースト鉄道(LBSCR)とは:1846–1922年の歴史と路線
ロンドン・ブライトン・サウスコースト鉄道(LBSCR):1846〜1922年の歴史、主要路線、沿線の港湾都市やリゾートへの役割を図解と写真で詳述。
ロンドン・ブライトン・サウスコースト鉄道(LBSCR)は、1846年から1922年までイギリスで営業していた主要な鉄道会社の一つです。その営業区域は、ロンドンを頂点とし、サセックス州の海岸線の大部分とサリー州の大部分を含む大まかな三角形を形成していました。LBSCRはロンドンから南海岸の海辺のリゾート地であるブライトン、イーストボーン、ワーシング、リトルハンプトン、ボグナー・リージス、ニューヘブン、ショーハム・バイ・シーの港への最も直接的なルートを提供していました。また、チチェスター、ホーシャム、イースト・グリンステッド、ルイスの内陸部の町や都市、クロイドン、タンブリッジ・ウェルズ、ドーキング、ギルドフォードにも路線を伸ばしていました。ロンドン側には、ロンドン・ブリッジとビクトリアを起点とする複雑な郊外路線網があり、ロンドンを横断する複数の路線で利害関係を共有していました。
LBSCRは1846年に複数の独立鉄道会社が合併して誕生しました。1921年の鉄道法に基づき、1923年1月1日に南部鉄道の一部として統合されるまで活動を続けました。
路線網と運行の特徴
- 旅客輸送:海辺のリゾート地への季節旅客(特に夏季の観光客)や通勤需要を主力に、長距離急行から短区間の郊外列車まで多彩なサービスを提供しました。ブライトン方面への急行列車や、ニューへブンなどの港と連絡するボート・トレイン(船便連絡列車)は重要な収入源でした。
- 貨物輸送:農産物、石炭、石材や港湾を経由した輸送など地域経済に密着した貨物輸送も行っていました。
- 相互接続:ロンドン中心部への複数の起点を持ち、近隣の鉄道会社と線路や設備を共用・競合する区間が多く、割り当てや運行調整が必要でした。
設備・車両・工場
LBSCRはブライトンに機関車工場(Brighton Works)を持ち、車両の製造・整備拠点として機能しました。蒸気機関車の設計・改良や客車の整備が行われ、同社独自の技術と車両群を育てました。機関士や車掌をはじめとする専門職員の養成も進められ、地域の産業基盤となっていました。
近代化と電化の取り組み
19世紀末から20世紀初頭にかけて、都市近郊での輸送需要の増大に対応するために近代化が進められました。一部の都市近郊線では電化の計画や試験が行われ、列車の高速化・頻度向上や運行の合理化が図られました。1923年の合併後、これらの電化・近代化計画は新設の南部鉄道(Southern Railway)に引き継がれ、より広範な電化工事や標準化が進められることになりました。
歴史的意義と遺産
- 南東イングランドの沿岸リゾート地とロンドンを結ぶ主要路線を構築し、観光業や地域経済の発展に大きく寄与しました。
- ブライトン工場を中心に車両技術を蓄積し、その伝統は後の鉄道再編や国営化を経ても影響を残しました。
- 1923年の「グループ化(Railways Act 1921)」による再編で南部鉄道に吸収されましたが、LBSCRが築いた路線網の多くは現在でも利用されており、現代の鉄道ネットワークの基礎となっています。
主な年表(概略)
- 1846年:複数の地方鉄道が合併してLBSCRが発足。
- 19世紀後半〜20世紀初頭:海岸リゾートへの急行や郊外輸送網の整備、ブライトン工場での車両開発。
- 1923年1月1日:1921年の鉄道法に基づき、南部鉄道の一部として統合される(会社としてのLBSCRはここで終焉)。
このように、ロンドン・ブライトン・サウスコースト鉄道は南東イングランドの鉄道網形成に重要な役割を果たし、その路線と技術的遺産は後の鉄道史にも大きな影響を残しました。
百科事典を検索する