シャーロットタウン会議(1864年)とは:カナダ連邦成立の概要と海洋地方の議題
シャーロットタウン会議(1864)—プリンスエドワード島で開かれた海洋地方代表の議論がカナダ連邦成立へ導いた背景、主要議題、影響を簡潔に解説。
シャーロットタウン会議とは、カナダ連邦に関する会議である。英領北アメリカの組合の代表が出席した。会議は1864年9月1日から9月9日までプリンスエドワード島のシャーロットタウンで行われた。
この会議の目的は、後にカナダとなる海洋地方の将来について話し合うことであった。海洋地方とは、ノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワード島、ニューファンドランド州のことである。
背景
19世紀半ば、北アメリカの英領植民地では経済的・防衛的課題が増しており、それらを解決するための連合(合邦)構想が議論されていた。特に、海運・鉄道の整備、貿易政策、軍事防衛の負担、人口増加と政治的代表の配分などが大きな関心事だった。さらに当時の国際情勢(南北戦争による不安など)や英国側の方針も、植民地間の協調や統合を促す要因となった。
参加者と主な議題
シャーロットタウン会議には、海洋地方の代表者たちが当初の招集元として出席したが、のちにより大きな合邦案を持つカナダ=プロヴィンス(現オンタリオ・ケベックに相当)からも代表団が参加した。出席した代表は公式な最終決定をするためではなく、意見交換と相互理解を深めることが主目的だった。
- 代表構成と権力配分 — 各地域の代表権や議会での勢力配分(人口比例代表や上院の役割)についての懸念が示された。
- 経済と関税 — 内部市場の統合、関税政策、輸送(特に将来の大陸横断鉄道や沿岸間の鉄道)の費用負担が話題になった。
- 防衛と外交 — 米国との関係や海外からの防衛にかかる負担を各植民地でどう分担するかが検討された。
- 土地問題と地方事情 — 特にプリンスエドワード島における大規模地主制(地租問題)など、地域固有の懸案も議題に上った。
合意とその後の展開
シャーロットタウン会議は具体的な憲法案をまとめる場にはならなかったものの、参加者間で広い合意形成の土台を築いた点で重要だった。会議後、代表団はさらなる詳細な検討のためにケベック会議(1864年10月)に臨み、そこで連邦の基本原則や「72箇条」などの基礎が検討された。最終的にはロンドン会議を経て、1867年に英国北米法(British North America Act)が成立し、オンタリオ(カナダ西部)・ケベック(カナダ東部)・ノバスコシア・ニューブランズウィックの4植民地がのちのカナダ連邦(ドミニオン・オブ・カナダ)を形成した。
一方、当時出席したプリンスエドワード島は会議後すぐには合邦に加わらず、土地問題や経済条件の不一致などから参加を見送った。結果的にプリンスエドワード島は1873年に合邦へ加入し、ニューファンドランドはさらに遅れて1949年に連邦に加わることになった。
意義と遺産
シャーロットタウン会議は、カナダ建国過程における出発点の一つとして歴史的に高く評価されている。会議は単に法的な枠組みを作る場ではなく、異なる地域間で信頼関係を築き、連邦成立への政治的合意を形成する重要なきっかけとなった。現在、会議が行われた場所や関連史跡は保存・記念されており、カナダの建国史を学ぶ上での主要な史跡となっている。
質問と回答
Q: シャーロットタウン会議とはどのようなものでしたか?
A: シャーロットタウン会議はカナダ連邦に関する会議でした。
Q:シャーロットタウン会議には誰が出席しましたか?
A: 英領北アメリカの労働組合の代表が出席した。
Q:シャーロットタウン会議はどこで開催されたのですか?
A: シャーロットタウン会議はプリンス・エドワード島のシャーロットタウンで開催された。
Q: シャーロットタウン会議はいつ開催されましたか?
A: シャーロットタウン会議は1864年9月1日から9月9日まで開催されました。
Q: シャーロットタウン会議の目的は何でしたか?
A: 会議の目的は、後にカナダとなる海洋地方の将来について話し合うことでした。
Q: シャーロットタウン会議では、どの州が海洋州とみなされたのですか?
A:ノバスコシア州、ニューブランズウィック州、プリンスエドワード島、ニューファンドランド州です。
Q: シャーロットタウン会議の結果は?
A: シャーロットタウン会議の結果は、英領北アメリカ植民地の連邦制の提案であり、最終的にカナダの成立につながった。
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