Chościsko(チョシュチスコ)は、中世ポーランドの年代記に登場する伝説的な人物で、Gallus Anonymus(ガルス・アノニムス)が著した『Gesta principum Polonorum(ポーランド諸侯の業績)』でピアスト朝の先祖にかかれている父親として言及されます。年代記の本文中にこの名前は数回(少なくとも3回)現れますが、史料や写本によって表記や扱われ方が異なるため、実在の人物かどうかは不明で、伝説的・族譜作成上の人物とみなされるのが一般的です。

名前の語源については諸説あります。一般に、語形は古ポーランド語のchost / chwost(「尾」「房」「房状の髪」などを意味する語)に由来すると考えられており、そこから「尾のような髪」「長い房状の髪」を指すあだ名(ニックネーム)であった可能性が示唆されています。写本の格変化形(例:Chościskiem)や年代記中での挿入の仕方から、もともとは語形や意味が曖昧なまま伝えられ、後世の写本上でいくつかの解釈や付加が生じたと考えられます。

テクスト史の問題点として、同じ場面で「ポピール(Popiel)王子」に関する章題や記述の中にこの名が現れる写本があり、誰に対する呼称なのかについて写本間で不一致があります。たとえば「ポピール王子が〈i>チョウスチスコと呼ばれるのは文法的におかしい」という指摘があり、文脈やラテン語原形の扱いから、ある説では本来はピアスト家の祖であるピアストの父を指す名だったが、写本伝承の混乱でポピールに結び付けられたのではないかとする見解があります。別の見方では、これは後世の年代記(例:大ポーランド年代記=Wielkopolska Chronicle)や写本編者の補入の影響で生じた付記である可能性が指摘されています。

現代の歴史学では、Chościskoは民間伝承や族譜類に見られる典型的な「伝説上の先祖像」であり、実在の個人を示す確かな史料的証拠は乏しいと評価されることが多いです。名前の語義や写本上の扱いをめぐる議論は、初期中世ポーランド史を解読するうえで年代記テクストの批判的検討がいかに重要かを示しています。