ダリル・F・ザナック:ハリウッドを支えた受賞プロデューサー兼スタジオ幹部(1902–1979)
ハリウッド黄金期を築いた3度のアカデミー賞受賞プロデューサー兼スタジオ幹部ダリル・F・ザナックの波乱と業績を詳述。
ダリル・フランシス・ザナック(Darryl Francis Zanuck、1902年9月5日 - 1979年12月22日)は、アメリカのプロデューサー、作家、俳優、監督、スタジオ幹部である。ハリウッドのスタジオシステムで重要な役割を果たし、商業性と社会的テーマを両立させる映画づくりで知られた。アカデミー賞は3回受賞している。そのキャリアは48年に及んだ。
生い立ちと初期の経歴
ザナックは1902年9月5日、ネブラスカ州ワフーでルイーズ(旧姓トーピン)とフランク・ザナックの間に生まれた。若い頃から筆を執り、1920年代に映画業界へ進出してシナリオや製作業務に携わるようになった。早い段階で脚本や短編の編集、俳優業などを経験し、映画制作全般に精通するようになった。
スタジオ幹部としての活躍
1930年代に入ると、ザナックはプロデューサー兼幹部として頭角を現した。1933年に設立されたTwentieth Century Picturesの共同経営に関わり、1935年のFox Film Corporationとの合併により誕生した20世紀フォックス(20th Century‑Fox)では、長年にわたり製作責任者として多くの重要作を手がけた。彼は大作娯楽と社会的に意義ある作品の両立を掲げ、映画界の流行や国際市場にも目を配った。
代表的な制作作品としては、社会派ドラマの傑作や大作が含まれる。例えば次のような作品で知られる:
- 『The Grapes of Wrath』(邦題『怒りの葡萄』)などの社会派文学の映画化
- 『How Green Was My Valley』(家族・地域を描いたドラマ)
- 『Gentleman's Agreement』(差別を主題にした社会派作品)
これらの作品によりアカデミー賞での評価を受け、製作者として映画史に残る功績を残した。ザナックはまた、多くの監督や俳優の才能を見出して登用し、ハリウッドのスターシステムの発展に寄与した。
私生活・家族
ザナックは1924年に女優のヴァージニア・フォックスと結婚し、1956年に別れるまで連れ添った。夫妻の間には3人の子供がおり、その一人が映画プロデューサーのリチャード・D・ザナックで、後年『ジョーズ』を製作するなど父の系譜を継いだ。
晩年と死去、遺産
ザナックは長年にわたり映画界で影響力を持ち続けたが、1979年12月22日にカリフォルニア州パームスプリングスで顎の癌のため死去した。享年77歳であった。
評価としては、ザナックはスタジオ制のもとで映画産業を実務的に運営しつつ、時には社会問題を扱う意欲的な作品を送り出した「実務家であり芸術志向でもある」プロデューサーとして知られている。彼が築いた制作体制や発掘した才能は、アメリカ映画の発展に大きな影響を与え、子孫も含めて映画界に残る遺産となっている。

1940年頃のザナック
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