パルマ公国とは:1545年成立〜1859年廃止、ファルネーゼとブルボンの歴史

1545年のファルネーゼ成立からブルボン継承、1859年の廃止まで──パルマ公国の政治・文化史を分かりやすく解説。

著者: Leandro Alegsa

パルマ公国は、1512年に教会国家に征服されたポー川以南のミラノ公国の一部から1545年に誕生した。パルマ市を中心とするこれらの領土は、教皇パウロ3世の非嫡出子ピエル・ルイジ・ファルネーゼの領地として与えられたものであった。その後、ファルネーゼ家が支配し、最終的にはブルボン家が継承した。1859年のイタリア建国に伴い、公国は廃止された。また、1806年までは神聖ローマ帝国の属領であり、隣国のトスカーナ大公国とは様々な関係にあった。

成立の経緯と初期の出来事

1545年に成立したパルマ公国は、教皇パウロ3世が自家の勢力基盤を確立するため、ミラノ公国の一部を息子に与えたことに端を発します。初代公の支配は地域の政治的均衡に影響を与え、近隣の大国(ハプスブルク家、フランスなど)との緊張や同盟関係が続きました。1547年には初代公ピエル・ルイジが暗殺されるなど混乱もありましたが、ファルネーゼ家は以後長く公国を支配しました。

ファルネーゼ家の支配と文化的繁栄

ファルネーゼ家は建築・美術・学芸の保護者として知られ、パルマはルネサンス・バロック期の重要な文化拠点となりました。宮廷は有能な画家や建築家を招き、パルマには〈パラッツォ・デッラ・ピロッタ〉や〈テアトロ・ファルネーゼ〉のような建造物が整備されました。ファルネーゼ家のコレクションは後にヨーロッパ各地に流出しますが、その芸術的遺産は現在も地域文化に影響を与えています。

ナポレオン期とマリー=ルイーズの統治

18世紀から19世紀にかけて欧州の政治再編が進む中、パルマ公国もナポレオン戦争の影響を受けます。ナポレオン支配期には一時的に領土編入・再編が行われ、1814–1815年のウィーン会議後には、ナポレオンの第二夫人であったオーストリア出身のマリー=ルイーズ(マリー・ルイーズ)がパルマ公国の統治者として与えられ、約30年にわたり統治を行いました。彼女の時代には行政の近代化や公共施設の整備が進められました。

ブルボン家の継承と廃止まで

マリー=ルイーズの死後、再び伝統的な王家(ブルボン=パルマ家など)が公国を継承します。19世紀半ばのイタリア統一運動(リソルジメント)によって国内の政治状況は急速に変化し、1859年の戦争と併合を経てパルマ公国は廃止され、最終的に新生イタリア王国に組み込まれました。

地理・経済・文化の特色

  • 位置:北イタリア、現在のエミリア=ロマーニャ州に相当する地域で、中心都市はパルマ
  • 経済:農業(チーズや生ハムなどの名産品)、絹産業や小規模工業が基盤。特に後世に知られる「パルミジャーノ・レッジャーノ」や「プロシュート・ディ・パルマ」の伝統はこの地域に根付く。
  • 文化:コレッジョ(Correggio)やパルミジャニーノ(Parmigianino)らルネサンスの画家を輩出し、19世紀には作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの故郷にも近い地域であったため、音楽・美術両面で豊かな伝統がある。

国際関係と地政学的意義

パルマ公国は規模こそ小さかったものの、イタリア半島における勢力バランスの一端を担い、特にハプスブルク家(スペイン・オーストリア)やフランスとの関係、隣国のトスカーナ大公国との相互関係が重要でした。なお、形式上は1806年まで神聖ローマ帝国の属領という位置づけが残っていましたが、ナポレオン支配以降のヨーロッパ再編でその意味合いは変化しました。

まとめ

パルマ公国(1545–1859)は、教皇の私的領地から成立した小国でありながら、ファルネーゼ家による芸術文化の庇護や、その後のブルボン家やマリー=ルイーズの統治を通じて地域史に重要な足跡を残しました。ナポレオン期の編入や19世紀の統一運動という大きな歴史の潮流のなかで消滅しましたが、今日のパルマ地方に残る食文化・美術・建築は当時の影響を強く受けています。

質問と回答

Q: パルマ公国はいつ創設され、その起源は何ですか?


A: パルマ公国は1545年に、それまでミラノ公国の一部であり、1512年に教会国家に征服されたポー川以南の領土から誕生しました。

Q: いつ、誰がパルマ公国を領地として与えられたのですか?


A: パルマ公国は、教皇パウロ3世の隠し子ピエール・ルイジ・ファルネーゼに領地として与えられた。

Q: パルマ公国はもともと誰が統治していたのですか?


A: パルマ公国はもともとファルネーゼ家が統治していましたが、最終的にはブルボン家が相続しました。

Q: 公国が廃止されたのはいつですか?


A: パルマ公国は1859年のイタリア建国に伴い廃止されました。

Q: 神聖ローマ帝国におけるパルマ公国の地位は?


A: パルマ公国は1806年まで神聖ローマ帝国の属国でした。

Q: パルマ公国はトスカーナ大公国と関係がありましたか?


A: はい、パルマ公国は隣国のトスカーナ大公国と様々なつながりがありました。

Q: パルマ公国の主要都市はどこでしたか?


A: パルマ公国の主要都市はパルマでした。


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