絶対君主制(絶対王政)とは?定義・特徴・歴史を分かりやすく解説
絶対君主制の定義・特徴・歴史を図解で分かりやすく解説。中世から近代、現代の実例と比較で理解する入門ガイド。
絶対君主制とは、君主と呼ばれる一人の人間が政治権力をほぼ独占し、法や議会、宗教指導者などの制約をほとんど受けない君主制の一形態である。これは立憲君主制とは対照的で、後者では権力が議会や裁判所、成文憲法といった仕組みによって制限されている。
絶対君主制の主な特徴
- 中央集権的な統治:君主が政府の最高決定権を持ち、行政・立法・司法の主要な権限を支配することが多い。
- 世襲または指導者の強い正統性:多くの場合、王位は世襲される。歴史的には「王権神授説(divine right)」のような宗教的正当化が用いられた。
- 制約の欠如:議会や独立した裁判所、市民的自由といった外部の抑制が弱く、君主の決定が直接的に国の方針となりやすい。
- 官僚制と常備軍:効率的な課税制度や官僚機構、軍隊を整備して統治を安定させる傾向がある。
- 言論・結社の制限:反対意見や政治的競争を抑えるための検閲や弾圧が行われることがある。
歴史的な発展
中世のヨーロッパでは、地方領主の権限が強く分散していたが、近世になると国王が税制や軍事、司法を統一して権力を強める「中央集権化」が進んだ。近世の代表例としては、フランスのルイ14世やスペイン・ハプスブルク家、ロシアのツァーリなどが挙げられる。君主はしばしば王権神授説を用いて自らの統治を正当化した。
しかし、啓蒙思想や市民階級の台頭、経済的変化により、絶対君主制は次第に批判にさらされるようになった。特にフランス革命(18世紀末)は絶対君主制に対する大きな転換点となり、以降は憲法による統制や議会制の導入が世界的に広がっていった。19世紀から20世紀にかけて、多くの国で立憲化や王制の廃止が進んだ。
現代における状況
現在では、完全な意味での絶対君主制は数少ないが、中東のアラブ諸国などを中心に、依然として強い君主権を維持している国が存在する。代表的な例としてはサウジアラビア、オマーン、ブルネイ、エスワティニ(旧スワジランド)などが挙げられる。これらの国でも、形式的・実質的に異なる統治形態や協議機関が併存している場合があり、「完全な絶対主義」と一言で言い切れない側面もある。
影響と評価
- 利点として挙げられる点:決定の迅速さや政治的安定、長期的な政策実行の可能性など。特に国家建設や危機時には一枚岩のリーダーシップが有効になることがある。
- 批判点:民主的正当性の欠如、市民的自由や人権の制約、権力の私物化や汚職、改革の欠如が問題視されることが多い。
まとめ
絶対君主制は、歴史的には国家統合や中央集権を促進した一方で、近代以降は市民的権利や憲法主義の発展によりその優位性が相対化されてきた。現代では一部の国に形を残すものの、多くの国は立憲化や議会制を採用しており、絶対君主制は例外的な統治形態となっている。


太陽王として知られる フランスのルイ14世の肖像画(1700年頃、Hyacinthe Rigaud作)。このフランス王は、神の恩寵によって統治が正統化されたことを示す、あらゆる権力の象徴として描かれている。この肖像画は、当時のヨーロッパの君主を描いた他の同様の肖像画の青写真として使用された。
質問と回答
Q: 絶対君主制とは何ですか?
A: 絶対君主制とは、通常君主と呼ばれる一人の人物が絶対的な権力を保持する君主制の一形態です。
Q:絶対君主制は立憲君主制とどう違うのですか?
A: 絶対君主制は、他の人々によって拘束されたり支配されたりすることはありません。一方、立憲君主制は、聖職者、法律家、社会的エリート、成文憲法など、他の存在によって拘束されたり支配されたりします。
Q: デンマーク・ノルウェーにおける「国王法」とは何ですか?
A: 「国王法」(Kongeloven)は、デンマーク・ノルウェー王国における君主の絶対的支配を含む憲法です。
Q: 多くの君主は、以前は王国内で絶対的な支配者だったのですか?
A: はい、かなりの数の君主が、以前はその王国の絶対的支配者でした。
Q: 君主が憲法によって制限されるようになったのはいつですか?
A: 18世紀末のフランス革命以降、君主が憲法によって制限されることが一般的になりました。
Q:絶対君主制の国はまだ残っているのですか?
A:はい、いくつかの絶対君主制が残っており、そのうちのいくつかはアラブ諸国に見られます。
Q:どのような集団が立憲君主制を抑えたり、支配したりすることができますか?
A: 立憲君主制は、聖職者、法律家、社会的エリート、成文憲法などの存在によって抑制されたりコントロールされたりします。
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