ジュディス・クイニーJudith Quiney、1585年2月2日(洗礼) - 1662年2月9日)は、ウィリアム・シェイクスピアとアン・ハサウェイの次女で、双子として兄弟のハムネット・シェイクスピアと同日に洗礼を受けた。姉にスザンナ・ホールがおり、ハムネットは1596年に若くして亡くなった。

基本情報

  • 生誕(洗礼):1585年2月2日
  • 没:1662年2月9日
  • 配偶者:トーマス・クイニー(Thomas Quiney)
  • 兄弟姉妹:スザンナ・ホール、ハムネット・シェイクスピア(双子)
  • 子ども:リチャード・クイニー、トーマス・クイニー、(名にシェイクスピアを付けられた乳児)
  • 両親:ウィリアム・シェイクスピア、アン・ハサウェイ

生涯の概観

ジュディスについての記録は多く残っておらず、教育や私生活の詳しい事情は不明な点が多い。判明している範囲では生涯を通じてストラトフォード=アポン=エイヴォンに住み、父ウィリアム・シェイクスピアの死後も地元で暮らした。家族にとっての悲劇は早く、双子の兄ハムネットの死(1596年)は家族に深い影響を与えたと考えられる。

結婚とその顛末

1616年2月10日、ジュディスは地元の商人トーマス・クイニーと結婚した。この結婚は結婚許可(ライセンス)を得ずに行われたとされ、当時の教会法に反したため、教会の裁判で〈破門・公的な懲戒〉に処される結果を招いた。特にトーマス側には、結婚前にマーガレット・ウィーラーという女性との不義があり、その女性と子も短命であったという事情が問題になった。トーマスは教会の前で懺悔として三回日曜礼拝の間に白衣をまとって出頭するなどの処分を受けている。

父ウィリアム・シェイクスピアは1616年1月に遺言を整えるために弁護士と会っており、その草稿には最初トーマス・クイニーへの言及があったが、後の正本ではトーマスへの直接の言及は削除され、代わりにジュディス本人の名が明記された。遺言ではジュディスに100ポンドと家屋(コテージ)を遺し、さらに一定の条件下で追加の金銭的利益を与えることが定められた。こうした配慮は、娘たちが経済的に困らないようにするための措置と考えられる。

子どもたち

ジュディスは1616年11月に最初の子を産み、父親にちなんで「シェイクスピア」という名を付けられたが、その乳児は翌1617年5月に亡くなっている。続いて1618年と1620年に生まれた息子リチャードとトーマスは幼年期を生き延びたが、いずれも早世し、1639年に互いに数週間の差で亡くなった(年齢は当時の記録に基づけばおおむね19–21歳前後)。このためジュディスは最終的に子ども全員を看取ることになった。

晩年と死後の状況

ウィリアム・シェイクスピアは1616年4月に亡くなり、遺産の大半は長女スザンナに託された。ジュディスには遺言により現金と居屋が与えられたが、家族間の社会的な地位や生活の差は否めなかった。

ジュディスは1662年2月9日に没し、77歳前後で埋葬されたと記録されている。夫トーマス・クイニーはその後も地元で活動を続け、ワイン商(酒類商)やたばこ商として商売を行い、町政にも関与して1621年・1622年にはチェンバレン(町の会計責任者に相当する役職)を務めたという記録がある。ジュディスとトーマスは教会の墓地に埋葬されたが、その正確な区画は現在特定されていない。

評価と遺産

ジュディス・クイニーは、父が世界的に有名になった一族の一員であるにもかかわらず、公的な記録が少なく私生活に関する描写も限られている人物である。彼女の人生は家族の繁栄と並んで個人的な悲哀も伴っており、特に子どもたちの早すぎる死や結婚をめぐる公的な屈辱はその象徴的な出来事といえる。シェイクスピア家の女性たちの地位や財産配分のあり方を知る上で、ジュディスの生涯は重要な史料的意義を持つ。