鎌倉幕府とは|将軍・北条氏の支配と鎌倉時代の歴史概説

鎌倉幕府の成立と将軍・北条氏の支配、鎌倉時代の政治や社会変革を図解でやさしく解説。入門に最適な歴史ガイド。

著者: Leandro Alegsa

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、日本の中世に成立した武家政権で、1192年(建久3)に源頼朝が初代征夷大将軍に任じられたことを起点として、1333年に滅亡するまで続きました。中央の朝廷(京都)とは異なる、武士を支配基盤とする政治体制であり、土地支配・軍事力を基盤に日本の政治構造を大きく変えた点が特徴です。

成立と基本構造

鎌倉幕府は、朝廷から将軍の地位を受けた武家の棟梁を頂点に据えつつも、実務的な統治は幕府独自の役職や領地管理制度によって行われました。地方支配は地頭(じとう)御家人(ごけにん)を通じて行われ、荘園や所領の管理・徴税・治安維持を担いました。幕府は鎌倉を軍政の拠点とし、京都に残る朝廷との「二元的な権力構造」を作り出しました。

将軍の系譜(概略)

鎌倉幕府の将軍は形式的・象徴的な地位を保ちながらも、時期によって背景が変化しました。代表的には次のような流れがあります。

  • 最初の3名は源氏(源頼朝、源頼家、源実朝)といった源氏一族の将軍でした。
  • 続く2名は藤原氏の有力な一族である九条家(九条頼経・九条頼嗣=九条氏)など、朝廷側の有力家の系統が将軍に就きました。
  • その後の将軍たちは、皇族(親王)が将軍職に就くことが多くなり、幕府の実権は将軍ではなく別の機構が握る、いわゆる「傀儡的な将軍」の時期が長く続きます。

北条氏の執権と実権掌握

1199年の源頼朝の死後、実権を握ったのが鎌倉の有力御家人である北条氏です。1203年ごろから北条氏が執権(しっけん)の職を代々世襲し、幕府の政治・軍事の実権を掌握しました。執権は将軍を補佐・監督する立場で、やがて幕府の最高実務者として機能します。特に北条時政・北条義時・北条泰時・北条時頼らによって執政体制が整えられ、北条氏の支配体制が確立しました。

行政・司法制度と法令

鎌倉幕府は領地管理と武士階級の統制を目的に独自の制度を整備しました。主なものに:

  • 地頭の設置:荘園・公領に地頭を配置し、年貢の徴収や治安維持を行わせた。
  • 御家人の統制:御家人は幕府への軍役や忠誠を義務づけられ、その代わりに所領の保有や補償を受けた。
  • 御成敗式目(1232年):北条泰時が制定した武家法で、土地紛争や御家人の訴訟を扱う基準を定め、幕府の裁判運営の基礎となった。
  • 京都の監視機関:六波羅(ろくはら))や鎌倉幕府の京方組織(六波羅探題など)を置き、朝廷や西国を監視した。

対外関係と蒙古襲来

鎌倉時代中期には外敵として元(モンゴル帝国)による二度の襲来(1274年・1281年、いわゆる蒙古襲来)があり、これを幕府は御家人を動員して撃退しました。軍事的には防衛に成功したものの、戦費や戦後処理の負担は幕府・御家人双方に重くのしかかり、幕府の財政・統治力を弱める一因となりました。

衰亡とその後の影響

14世紀初頭、朝廷側の復権をめざす動き(後醍醐天皇の討幕運動)や地方勢力の疲弊、北条得宗家の内部混乱などが重なり、1333年に新田義貞や足利尊氏らの攻勢のもとで鎌倉幕府は滅亡します(鎌倉落城)。その後、短期間の建武の新政を経て、足利氏による室町幕府が成立し、日本の中世政治はさらに変容していきます。

歴史的意義

鎌倉幕府は、武士階級を支配層として確立させ、日本の封建制度の基盤を築いた点で重要です。また、地方分権的な領主制や武家法の制定、仏教の新しい潮流(浄土宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗など鎌倉新仏教)の興隆といった文化的変化も伴いました。こうした変化は、中世日本の社会構造・政治文化に長期的な影響を与えました。

(主要な用語:将軍執権御家人地頭御成敗式目

源頼朝、鎌倉幕府の始まりに京都へ--歌川貞秀による錦絵、1860年代頃Zoom
源頼朝、鎌倉幕府の始まりに京都へ--歌川貞秀による錦絵、1860年代頃

歴史

1192年、源頼朝と源氏が鎌倉に武家政権を樹立した。幕府は、平安京の支配体制の枠組みの中で機能した。

モンゴルのクブライ・ハン軍が日本に侵攻しようとした。1274年11月19日(文永11年10月20日)、クビライ・ハンの軍隊は九州の福岡付近に上陸した。侵略者は朝鮮半島に退却した。これが「文永の役」である。1281年(弘安4年)、モンゴル軍が2度目の侵攻を試みる。これを弘安の役という。幕府は三度目の侵略に備え、防衛の準備を進めたが、侵略はなかった。防衛費がかさみ、幕府は弱体化した。

1333年(元弘3年)の鎌倉の戦いでは、新田義貞が率いる軍が鎌倉幕府を滅ぼした

鎌倉幕府将軍一覧

  1. 源頼朝 1192-1199
  2. みなもとのよりいえ 1202-1203年
  3. みなもとのさねとも 1203-1219年
  4. 九条頼経 1226年~1244年
  5. くじょうよりつぐ 1244-1252
  6. 宗尊親王(1252-1266)。
  7. 惟康親王(1266-1289)。
  8. 久明親王 1289-1308
  9. 盛国親王 1308年~1333年
  10. もりながほうじん 1333-1334
  11. 範親王 1334年~1338年

鎌倉シッケン一覧

  1. ほうじょうときまさ(1203-1205年)。
  2. 宝条義時(ほうじょうよしとき)1205-1224年
  3. ほうじょうやすとき 1224-1242年
  4. ほうじょうつねとき 1242-1246年
  5. ほうじょうときより 1246年~1256年
  6. ほうじょうときむね 1268-1284年
  7. ほうじょうさだとき 1284-1301年
  8. ほうじょうもろとき 1301~1311年
  9. ほうじょうたかとき 1316-1326年
源頼朝の墓Zoom
源頼朝の墓

北条高時死去の地Zoom
北条高時死去の地

関連ページ



百科事典を検索する
AlegsaOnline.com - 2020 / 2025 - License CC3