フランス王国とは:中世から近代までの歴史・制度と年代(481–1848)

フランス王国の成立から1848年までの政治・制度・主要年表を分かりやすく解説する決定版ガイド。

著者: Leandro Alegsa

フランス王国royaume de France)は、中世から近代にかけてフランスの様々な政治的主体に与えられた名称である。歴史学では、「フランス王国」の成立時期をどこに置くかは議論があり、しばしば次の三つの出来事のいずれかに関連付けられる:481年のクロヴィスの台頭、843年のヴェルダン条約による西フランク王国の形成、あるいは987年のヒューグ・カペ(ユーグ・カペー)の選出である。王政の連続性はおおむね1792年の王制廃止まで続き、その後1814年の王政復古を経て、1848年の二月革命で王政は最終的に終焉した。

起源と初期の展開(メロヴィング朝〜カペー朝)

クロヴィスはメロヴィング朝を代表するフランク王で、カトリックに改宗したことでローマ教会との同盟関係を築き、これが中世フランス王権の正統性の基盤となった。ランス大聖堂で行われた王の戴冠は、「神から授けられた君主」という王権観を象徴し、以後フランス王の聖別儀礼は重要な政治的意味を帯びる。

9世紀のヴェルダン条約によるカロリング帝国の分裂は、西フランク王国(後のフランス王国)の成立に繋がるが、その後も領邦勢力の自立や封建的諸侯の権限が強く、王権は地方で限定的であった。987年に選ばれたヒューグ・カペを祖とするカペー朝は、直ちに全土を支配したわけではなく、当初はイル=ド=フランス周辺の領域を直接支配するにとどまった。そのため、多くの世代にわたり、王は自身の長男を生前に共戴冠して継承の安定を図る慣行を採用した。

領土統合と王権強化(中世後期〜近世前期)

中世を通じて、王領(ロワイヤル=ドマーヌ)への封建的領地の取り込みが進んだ。王権の強化は軍事力・財政・司法の制度化と密接に結びついている。たとえば、王位の側から見れば、フィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)以降に王権の実効支配が大きく拡大し、王領は拡充した。

ルイ9世(サン=ルイ)は王権による司法の整備を重視し、パリの議会(パルルマン)をはじめとする上級司法機関の地位を高めた。100年にわたる英仏の戦争(百年戦争、1337–1453年)の混乱を経て、シャルル7世の時代には常備軍の整備と恒久的な税制(テールなど)の確立が行われ、王権の財政基盤が強化された。

近世に入ると、リシュリュー(枢機卿リシュリュー)とその後のルイ13世・ルイ14世の政策により、中央集権化が急速に進んだ。特に地方行政の長として派遣されたアンタンダン(intendants、王の直轄官)は、地方の貴族的自治を抑制し、王権の法と行政を地方に浸透させた。ルイ14世の下で絶対王政は頂点に達し、「朕は国家なり」と象徴される強い王権が確立した。

啓蒙思想と王制の危機、革命

18世紀に啓蒙思想が広まり、理性三権分立個人の自由といった価値観が王権の正当性に疑問を投げかけた。財政危機や身分制度への不満が蓄積され、1789年のフランス革命は封建制の廃止と人権宣言をもたらした。革命はまず立憲君主制(1791年の憲法)を経たが、王権の存続は短命に終わり、1792年には王制が廃止され第一共和政が樹立された。

その後の混乱期には、総裁政府、ナポレオンの台頭と帝政(1804年の皇帝即位)、百日天下とワーテルローの敗北、1814–1815年の王政復古(ブルボン朝復古)などが続いた。王政復古は1814年のルイ18世即位に始まり、1830年の七月革命でシャルル10世が退位すると、ブルボン家は退けられ、ルイ=フィリップが「フランス国王(roi des Français)」として即位する七月王政(1830–1848年)が成立した。

王政の終焉とその歴史的意義(1848年以降)

七月王政も1848年の二月革命によって終焉し、王政は廃止された。以後、フランスは第二共和政、再び帝政(第二帝政、ナポレオン3世)を経験し、最終的に共和制が確立されていく。中世から近代にかけての「フランス王国」は、封建的分権から中央集権的近代国家への移行、司法・軍事・財政の制度化、そして近代政治思想との衝突を通じて変容し、現代フランスの基礎を形成した。

要点:

  • 成立時期の議論は多様で、481年のクロヴィス、843年のヴェルダン条約、987年のヒューグ・カペ即位のいずれかが起点とされる。
  • 中世を通じて王権は封建的領主との関係の中で拡大し、近世に入って中央集権化・常備軍・税制の整備が進む。
  • 啓蒙思想と財政・社会の矛盾が1792年の王政廃止と革命を引き起こし、1814–1848年の復古期を挟んで最終的に王政は終焉した。

質問と回答

Q:フランス王国の始まりとなった3大イベントは?


A:フランス王国の始まりは、481年のクロヴィス1世の登場、ヴェルダン条約、987年のユーグ・カペの選出の3つが大きな出来事でした。

Q:クロヴィス1世は、フランク王国とカトリック教会の同盟をどのように結びつけたのでしょうか?


A: クロヴィス1世は、ランスで王を戴冠させ、神権による支配者とすることで、フランク王国とカトリック教会の統合を成立させました。

Q:ルイ9世が正義の味方であったことの主な意義は何でしょうか?


A: ルイ9世は、王国全体に正義を配るという司法の役割を非常に重要視していました。

Q:リシュリューとルイ14世は、地方における王権をどのように強化したのでしょうか?


A: リシュリューとルイ14世は、地方の貴族総督を従属させ、国王が任命する執政官に委任することによって、地方における王権を強化したのです。

Q:啓蒙時代に広まった価値観とは?


A:啓蒙主義時代に広まった価値観は、合理的な政府、三権分立、個人の自由などです。

Q:フランス革命は、どのようにしてフランスの立憲君主制の確立につながったのでしょうか?


A:フランス革命は、理性に基づく政治、三権分立、個人の自由など、啓蒙思想に由来する価値観を広め、フランスの立憲君主制の確立につながりました。

Q:1792年、1830年、1848年に異なる方式で失敗したのはなぜか?


A: 1792年、1830年、1848年と異なる方式で失敗したのは、王が行使する絶対的な権力をめぐる争いが、フランス王政の終焉とともに終わったからです。


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