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マフムード2世:バグダードのセルジューク朝スルタン位請求者(1131年没)

マフムード2世は1118年にバグダードでセルジューク朝スルタンを名乗った。その治世はセルジューク権力の分裂とアフマド・サンジャルとの対立を示す。1131年に没し、ダウードが継承した。

マフムード2世は西部セルジューク家系の一員であり、先行する支配者(しばしばムハンマド1世、時にメフメト1世とされる)の死後、1118年にバグダードでスルタンの称号を名乗った。かつて統一されていたセルジューク領域が、競合する諸家系と地域宮廷へと分裂しつつあった時期のことである。同時代の年代記作者と後世の歴史家は、彼の請求を、多くの王子がスルタンとしての承認を求める一方、実際の権力は他の有力者によって争われた、より広範な状況の一部として記している。

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政治的背景と即位

マリク・シャー1世の死(1092年)後の時代には、セルジューク領域の各地で継承をめぐる争いが繰り返された。この環境のなかで、マフムード2世はイラクとアッバース朝の首都バグダードで台頭した。実権が軍事指導者や地域支配者の手にある場合にも、カリフによる象徴的な承認は重要であり続けた。彼がスルタンを称したことは、バグダードが西部セルジューク系の請求者にとって、なお正統性の中心と見なされていたことを示している。

アフマド・サンジャルとの対立と内部の分裂

マフムード2世の治世は、ホラーサーンにおけるセルジューク朝の年長の支配者、アフマド・サンジャルの影響力と重なった。サンジャルは以前から西部家系の成員による反乱や挑戦に直面しており、マフムードとサンジャルの争いは、セルジューク朝の東部系と西部系との分裂を反映していた。史料は、どちらか一方が単純に、異議なく優位に立ったのではなく、軍事的・政治的な緊張が存在したことを伝える。この出来事は、12世紀初頭のセルジューク国家に見られた遠心的傾向を浮き彫りにしている。

統治、関係、継承

現存する記録では、マフムード2世の国内統治に関する詳しい情報は限られている。セルジューク家の王子に一般的であったように、彼の権威は軍事的支援、地方有力者との同盟、そしてバグダードのアッバース朝カリフによる儀礼的承認の組み合わせに依存していた。1131年に彼が没すると、バグダードの地位は同族のダウードが継承した。ダウードの短い統治も、この地域における争われ、地方化したスルタン権の様相を継続するものであった。

意義と区別

マフムード2世の経歴が重要なのは、大規模な改革や長く存続した制度よりも、11世紀後半以後のセルジューク世界を特徴づけた分裂の一例である点にある。彼によるバグダードでのスルタン位請求は、有効な支配が地域勢力の間を移り変わるなかでも、同市とカリフが持ち続けた象徴的な重みを示す。王朝と関連する官職のより広い背景については、セルジュークの政治体制、スルタン制の性質、および当時のバグダードの役割に関する概説を参照。

  • 治世の宣言:1118年(バグダード)
  • 主な対立者:アフマド・サンジャル(ホラーサーン系)
  • 死去:1131年
  • バグダードにおける後継者:ダウード

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AlegsaOnline.com マフムード2世:バグダードのセルジューク朝スルタン位請求者(1131年没)

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