E.O.ウィルソン『人間の本性について』—進化論で読む人間性と社会
E.O.ウィルソン『人間の本性について』を解説。進化論で読み解く人間性と社会の起源・行動の謎をわかりやすく紹介。
『人間の本性について』は、ハーバード大学の生物学者E.O.ウィルソンによる1978年刊の著作で、1979年にピューリッツァー賞受賞を果たした。ウィルソンは主にアリなど社会性昆虫の研究で名を馳せた生物学者であり、本書ではその生物学的知見をもとに「人間の行動や社会現象を進化の観点から説明する」ことを試みている。
内容の概要と中心的主張
本書の中心的な主張は、個人の行動や集団の習慣、道徳、宗教といった人間社会の諸相に、進化(進化の)の痕跡が認められるということである。ウィルソンは行動の多くが遺伝的な傾向と環境(文化や学習)の相互作用によって生じると考え、次のようなテーマを扱っている。
- 利他性や自己犠牲――親族選択や包含適応度(inclusive fitness)の観点から、なぜ他者を助ける行動が進化的に説明できるのか。
- 攻撃性と寛容性――個体間・集団間の競争と協力のバランスがどのように形成されるのか。
- 性と性的行動――性的選択や配偶戦略に基づく行動の進化的起源。
- 宗教や象徴行動――神や崇拝といった文化的現象にも、生物学的な基盤や進化的説明があり得るという示唆。
- 快楽原理と行動――報酬系や性欲の進化的機能、たとえば性の利用などである。
方法と根拠
ウィルソンは比較行動学、動物行動学、進化理論の知見を人間行動に適用することで論を構成する。昆虫や霊長類の観察、遺伝学や生態学の理論(親選択、集団選択への再検討など)を参照しつつ、人間の普遍的な行動様式や文化的パターンを進化的に解釈しようとした点が特徴である。
反響と批判
本書は学際的な議論を喚起し、社会科学・人文学に生物学的視座を導入する試みとして高く評価される一方で、強い批判も受けた。主な批判点は以下の通りである。
- 遺伝的決定論への懸念――行動を「遺伝子のせい」にしすぎるのではないか、文化や歴史の役割を過小評価しているのではないかという指摘。
- 政治的・倫理的波紋――生物学的説明が社会的差別や固定的役割分担の正当化に用いられる危険性。
- 方法論的反論――人間の複雑な文化現象を動物行動と同列に扱うことの限界を指摘する意見。
影響と現代的意義
それでもなお、本書は進化心理学や社会生物学の発展に大きな影響を与えた。ウィルソンの提起は「人間性は生物学的基盤と文化の相互作用によって形成される」という観点を広く浸透させ、倫理学・政治学・人類学との対話を促した。今日では遺伝学や神経科学、文化進化論(gene–culture coevolution)といった新しい知見が加わり、ウィルソン以来の議論はより精緻化されている。
読みどころと注意点
- 読みどころ:生物学的視点から人間の普遍的傾向を示す議論、具体例として挙げられる利他行動や配偶戦略の説明、そして学際的な思考の刺激。
- 注意点:本書が提示する説明は「可能性のある説明」の一つであり、人間行動のすべてを遺伝や進化だけで説明できると断定するものではない。文化的・歴史的文脈や個々の学習過程も同時に考慮する必要がある。
総じて、E.O.ウィルソンの『人間の本性について』は、進化の視点から人間と社会を再検討する出発点となる重要な著作であり、賛否両論を通じて現代の学際的議論を豊かにしてきた作品である。
百科事典を検索する