教皇ヨハネ・パウロ(ヨハネ・パウロ1世とヨハネ・パウロ2世)
教皇名「ヨハネ・パウロ」は、ヨハネ・パウロ1世(1978年)とヨハネ・パウロ2世(1978~2005年)を指す。相次ぐその教皇職は、20世紀後半のカトリックの生活、司牧姿勢、世界との関わりを形づくった。
概要
「ヨハネ・パウロ」という名は、20世紀後半にローマ・カトリック教会を率いた、相次ぐ2人の教皇を指す。複合されたこの名は教皇史上では珍しく、1978年に起きた急激な移行を示している。すなわち、非常に短い教皇職の後に、長期にわたり大きな影響を及ぼした教皇職が続いたのである。両者は司牧的な働きかけ、近年の改革派教皇たちとの連続性、そして近代の社会的・政治的課題へのそれぞれ異なる応答を重視した。
ヨハネ・パウロ1世(アルビノ・ルチアーニ)
アルビノ・ルチアーニは1978年8月に選出され、ヨハネ・パウロ1世の名を選んだ。その姿勢は、温かさ、簡素さ、そして司牧的で対話的な態度によって知られた。教皇職はおよそ1か月しか続かず、その突然の死は世界中のカトリック信徒と観察者に衝撃を与えた。在位は短かったものの、謙虚さ、司牧的配慮、親しみやすい教皇像を強調した。
- 本名:アルビノ・ルチアーニ。
- 教皇職:1978年8月~9月(短期間)。
- 重点:司牧的な働きかけ、簡素さ、近年の改革との連続性。
ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヴォイティワ)
カロル・ヴォイティワは1978年10月にヨハネ・パウロ2世として選出された。ポーランド出身者として初の教皇であり、数世紀ぶりのイタリア人以外の教皇でもあった。長期にわたる教皇職(1978~2005年)は、広範な海外訪問、精力的な公的活動、影響力のある神学著作によって特徴づけられる。世界青年の日を推進し、とりわけ冷戦期の東ヨーロッパにおける政治的出来事に関わり、1981年には暗殺未遂事件を生き延びた。死後に列聖され、現代カトリックの記憶において今なお傑出した存在である。
- 本名:カロル・ヴォイティワ。
- 教皇職:1978~2005年。
- 特筆される点:世界規模の働きかけ、教導文書、20世紀後半の地政学における役割、若者と家族に関する取り組みの推進。
名称、意義と遺産
この複合名は、教皇ヨハネ23世とパウロ6世との連続性を示し、教義上の堅固さと結び付いた司牧改革への献身を示唆した。2人のヨハネ・パウロは、現代カトリック史における特異な一章を成す。それは、予想外の移行に続き、カトリックのアイデンティティ、公的関与、権威・改革・教会内部の危機への対応をめぐる議論を形づくった、数十年に及ぶ積極的な指導の時代であった。その遺産には幅広い民衆的な崇敬と制度上の論争が含まれ、とりわけ後に、聖職者による性的虐待への教会の対応をめぐる批判が生じた。歴史的評価は、司牧上の成果と、今日もカトリックの生活と記憶を形づくり続ける深刻な課題の双方を認めている。
著者
AlegsaOnline.com 教皇ヨハネ・パウロ(ヨハネ・パウロ1世とヨハネ・パウロ2世) Leandro Alegsa
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