サウスカロライナ州とは:植民地時代から州成立までの歴史と概要

サウスカロライナ州の植民地時代から州成立までの歴史と背景を分かりやすく解説。英王室支配や分裂の経緯、主要人物の役割も網羅。

著者: Leandro Alegsa

サウスカロライナ州サウスカロライナ植民地ともいう)は、もともとイギリス領アメリカのカロライナ州の一部であった。植民地時代を経て、1776年に独立を宣言し、サウスカロライナ州はアメリカのサウスカロライナ州となった。以降、独自の州憲法を採択して州政府を組織し、合衆国を構成する13植民地(州)の一つとなった。

名前と起源

「カロライナ」という名称は、イギリス国王チャールズ2世(Charles II)にちなんで付けられたもので、植民地の初期には「カロラナ」とも称された。1663年にチャールズ2世は、土地の運営を委ねるためにいわゆるロード・プロパティーズ(Lords Proprietors)と呼ばれる8人の貴族に広大な領地を与え、そこからカロライナ植民地の開発が始まった。

植民地の発展と社会

カロライナ植民地には、イングランド人のほかフランス系ユグノー(ユグノー派)、スコットランド人、ドイツ系移民など多様な移住者が入植した。1670年にチャールストン(当初はCharles Town)が主要な港湾都市として成立し、以後植民地の経済・社会の中心地となった。

沿岸低地(ローワー・カントリー)では、米(ライス)やインディゴ(藍)などの商品作物が大規模なプランテーションで栽培され、労働力としてアフリカ系奴隷が大量に導入された。これにより、奴隷労働を基盤とする大規模農園経済が植民地社会の特徴となった。一方、内陸部(ピードモント)や山岳地帯には小規模農民や入植者が住んでいた。

分裂と王室植民地化

カロライナ植民地は1700年代初頭に北部と南部で実効的に分化し、1712年にノースカロライナ州とサウスカロライナ州に分割された。両州は植民地経営の混乱や先住民との紛争(たとえばヤマシー戦争など)を経て、1729年にイギリス王室の直接統治下に入り、王室植民地となった。

王室植民地化後は、王室総督が設置されて統治が行われた。植民地の行政や治安維持、貿易管理などは王室の監督下で進められたが、土地所有者や商人、プランテーション経営者らの影響力は依然として強かった。チャールズ・モンタギュー卿(1741-1784)は、1766年から1773年までサウスカロライナ州の王室総督を務めた。

独立への動きと州成立

18世紀半ば以降、イギリス本国と植民地の間で課税や代表権をめぐる対立が深まり、サウスカロライナでも独立派(パトリオット)と忠誠派(ロイヤリスト)の対立が激化した。植民地の有力者や民衆の間に独立を支持する声が高まり、1776年にはサウスカロライナも他の植民地と共に独立を宣言して州政府を樹立した。その際、独自の州憲法が採択され、司法・立法・行政の枠組みが整えられた。

まとめと影響

  • サウスカロライナは、チャールズ2世に由来する「カロライナ」として始まり、ロード・プロパティーズによる植民地経営を経て発展した。
  • プランテーション経済と奴隷制が植民地社会の基盤となり、経済的繁栄と深刻な社会的分断をもたらした。
  • 1712年の分割、1729年の王室植民地化を経て、18世紀後半の独立運動の波に乗り、1776年に州として成立した。

以上が、植民地時代から州成立に至るサウスカロライナの主要な歴史と概要である。地域の地理的特徴、経済構造、人口構成、先住民族との関係、そして独立期の政治的動向が、後の南北戦争など19世紀の出来事にも深い影響を与えている点は注目に値する。

イギリス領アメリカ植民地南部の地図、カロライナ州を示す。Zoom
イギリス領アメリカ植民地南部の地図、カロライナ州を示す。



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