バブルーナマ(バブールの回顧録)内容・成立・翻訳史解説
バーブル・ナーマ(バブルーナマ)の内容・成立と翻訳史を詳細解説 バブールの自伝的回顧録がチャガタイ語で成立しアクバル期のペルシア語訳以降の主要翻訳と史料的意義を網羅
バーバーンナーマ(チャガタイ/ペルシア語: بابر نامہ、文字通り「バーブルの書」。トルコ語系では一般にBaburnama、ペルシア語訳ではしばしばTuzk-e Babriと呼ばれる)は、ムガル帝国創始者でティムール朝の血を引くザーヒルッディーン・ムハンマド・バーブル(1483–1530)による自伝的回顧録である。原稿はバーブル自身の母語である中央アジアのチャガタイ語(当時バーブルが「トルキ」と呼んだ)で著され、のちにアクバル帝の宮廷で廷臣アブドゥル・ラヒーム(Khan-i-Khana)らによってペルシア語に翻訳・整備されたことで広く読まれるようになった。
内容
バーバーンナーマは、バーブルの生涯を本人の視点で綴った日誌的記録であり、戦役や政争の記述に加えて、私生活、感情、自然観察、園芸や動植物に関する精緻な記述、旅行記、詩句の引用などが混ざり合っている。具体的には次のような特色がある:
- 戦闘と政略:フェルガナ地方での若年期、インド侵攻、パンパーニールやパーニーパットなど主要戦闘の記録。
- 地理・風土・自然:訪れた土地や河川、気候、土壌、動植物に関する観察が数多く含まれ、当時の中央アジアおよびインド北部の自然史的資料としても価値が高い。
- 園芸・建築:庭園づくりや樹木の移植、都市造営に関する関心がしばしば語られ、後のムガル園芸伝統に通じる種子が見える。
- 個人的回想と自己描写:敗北や挫折、孤独、恋愛・家庭の事情など、率直で自己分析的な記述が多く、単なる功績自慢に留まらない人間的な深みを示す。
成立と年代
バーブルは生涯にわたって断続的に書き続けたとされ、その記述は少年期から晩年に至る出来事を含むが、書かれた時期と記された出来事は必ずしも一致しない。バーブル自身が近時の出来事を日記的に記すこともあれば、過去を振り返って書き加えることもあった。最終的には1529–1530年頃までの出来事を扱っている。書写・保存の過程で複数の写本が派生し、ムガル朝期において装飾写本(挿絵入り)も作られた。
言語・文体
原文はチャガタイ語(中世トルコ諸語の一変種)で、バーブルはこれを「トルキ」と呼んだ。文体は平明で率直、ユーモアや自虐的な表現もあり、政治的駆け引きや軍記に偏らない多彩さがある。一方でバーブルはペルシア語の知識も持ち、原文中にペルシア語句や詩句を引用することがあるため、翻訳・注釈の際には言語間の微妙なニュアンスを考慮する必要がある。
写本・校訂・翻訳史
ペルシア語訳:アクバル帝期に廷臣アブドゥル・ラヒーム(Khan-i-Khana)らがチャガタイ原文をペルシア語に翻訳・補訂した写本が宮廷で流布し、これが初期の近世読者にとって主要な本文となった。このペルシア語訳はムガル朝の公的な文学言語であるペルシア語で書かれているため、南アジアや中近東での受容を広げた。
挿絵写本:アクバル朝の宮廷工房で制作された挿絵入りの写本群が現存し、ムガル絵画史研究にとっても重要である。これらの豪華写本は博物館・図書館に所蔵されている。
近現代の校訂・翻訳:18–19世紀以降、ヨーロッパを中心に複数の言語に翻訳された。19世紀から20世紀にかけてはペルシア語訳とチャガタイ原文の両方を基にした注釈付きの文献学的編集が行われ、さらに20世紀後半からはチャガタイ原文に立ち戻って翻訳する試み(現代英訳や他言語訳)も進んでいる。英語では歴史家や翻訳家により複数の版が出され、原文の風味を重視した新版翻訳も出版されている。
史料的価値と評価
バーバーンナーマは、ムガル帝国成立期を知る一次資料として極めて重要である。個人的かつ率直な視点から当時の軍事・政治状況、社会風俗、自然・文化に関する細部が記録されており、歴史学・文献学・文化史・園芸史など多方面で引用される。現代の研究では、バーブルの記述の主観性や文学的装飾、翻訳過程での変容(特にペルシア語訳による語句の補い・解釈)を慎重に検討することで、より正確な史実の復元が試みられている。
影響・遺産
バーブルの回顧録は、ムガル朝以降の王侯や文人による自伝的文献の伝統にも影響を与え、南アジアの歴史叙述や文化記憶に深く根づいている。また、その自然観察や園芸に関する記述は、後代のムガル園芸や園林設計の源流の一つとして評価されている。
研究や翻訳を行う際は、チャガタイ原文・アクバル期のペルシア語訳・各写本を比較し、注釈や語注を参照することが重要である。既存の写本や近現代の注釈付き翻訳を手掛かりに、バーブル自身の言葉や思想にできるだけ忠実に接近する試みが続いている。
質問と回答
Q: Baburnamaとは何ですか?
A: 『バブルナマ』とは、1483年から1530年まで生きたムガル帝国の創始者、ẓahīr-ud-Dīn Muhammad Bāburの回想録です。
Q: バブルナマは何語で書かれていますか。
A:バブルナマはチャガタイ語で書かれています。チャガタイ語は「トゥルキ語」とも呼ばれ、アンディジャン・ティムール朝で話されていた言語です。
Q:誰がバブルナマをペルシア語に翻訳したのですか?
A: バブルナマはムガル帝国の廷臣アブドゥル・ラヒームによって、アクバル帝の時代、AH998(1589-90)にペルシア語に翻訳されました。
Q: なぜバブルナマはペルシア語に翻訳されたのですか?
A: Baburnamaがペルシア語に翻訳されたのは、ペルシア語が当時のムガール帝国の宮廷の通常の文学言語だったからです。
Q: バブルナマはいつ他の言語に翻訳されたのですか?
A: バブルナマの他言語への翻訳は、主に19世紀以降に行われました。
Q: バブールとは誰ですか?
A: バブールはムガル帝国の創始者で、ティムールのひ孫にあたります。
Q: "Tuzk-e Babri "とはどういう意味ですか?
A: "Tuzk-e Babri "は "Baburnama "の別名で、"バブールの歴史 "または "バブールの手紙 "という意味です。
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