ロジャー・ビニー(Roger Binny)—1983年W杯で最多18ウィケットを挙げた元インド選手

1983年W杯で最多18ウィケットを挙げた元インド代表ロジャー・ビニーの功績と経歴を掘り下げる、伝説の右腕ファストボウラーの物語。

著者: Leandro Alegsa

Roger Binnyは、元インド代表のクリケット選手で、特にインドが優勝した1983年のクリケットワールドカップでの活躍で知られています。フルネームはロジャー・マイケル・ハンフリー・ビニー(Roger Michael Humphrey Binny)で、インドのカルナータカ州ベンガルール(旧名:バンガロール)出身です。

経歴の概要

Binnyは国内ではカルナータカ州(Karnataka)を長年にわたり代表し、国際舞台では1970年代後半から1980年代にかけてインド代表として活躍しました。右腕のファスト〜ミディアムペースのボウラーであり、右打ちの下位打者としても貴重な得点源になりました。チームにおいては、正確なラインと長めのボールで相手にプレッシャーをかける役割を担っていました。

1983年ワールドカップでの功績

Binnyは1983年のワールドカップで、大会最多となる18ウィケットを挙げ、インドの初のワールドカップ制覇に大きく貢献しました。彼の貢献は単なる数字以上の意味を持ち、強豪相手に粘り強く投球してチームを支えました。大会を通じての好調なボウリングは、後の世代に対するインドのシームボウリング力向上にも影響を与えています。

プレースタイルと特徴

  • ボウリング:右腕のファスト〜ミディアムペース。バウンスとコントロールを重視し、下位打者や終盤のボウリングで効果を発揮しました。
  • バッティング:右打ち。主に下位打者としてチームの総得点に貢献する役割を果たしました。
  • 精神面:試合の大事な局面で冷静さを保てることが評価され、チームメイトからの信頼も厚かった選手です。

国際成績

代表での通算成績は次のとおりです:

ロジャー・ビニーはテストクリケットで830ラン、1日国際試合で629ランを記録しています。彼はテストクリケットで47ウィケット、1日国際試合で77ウィケットを獲得しました。

引退後と遺産

現役引退後もビニーはクリケット界に関わり続け、選手育成や運営の分野で活動しました。国内の育成プログラムや選考といったクリケット行政に携わり、若手選手の育成やチームづくりに貢献しています。また、息子のStuart Binnyもインド代表としてプレーしており、父子で国際舞台に名を残す家系となりました。

ビニーの最大の遺産は、1983年ワールドカップでの貢献に象徴される「大舞台での勝負強さ」と、インドクリケットにおけるシームボウリングの重要性を後世に示した点にあります。彼の実績はインド史上に残る功績の一つです。



百科事典を検索する
AlegsaOnline.com - 2020 / 2025 - License CC3