ロジャー・マリス — MLB外野手|1961年61本塁打・2度のMVPと経歴
ロジャー・マリスの軌跡:1961年61本塁打、2度のMVP獲得、ヤンキースでの栄光から移籍・引退まで名場面と経歴を詳述。
Roger Eugene Maris(1934年9月10日 - 1985年12月14日)は、メジャーリーグベースボール(MLB)で活躍した外野手。キャリアではクリーブランド・インディアンス、カンザスシティ・アスレチックス、ニューヨーク・ヤンキース、セントルイス・カージナルスに所属し、特に1961年のシーズンで達成した61本塁打で広く知られる。1960年と1961年にはアメリカン・リーグの最優秀選手(MVP)に選出され、1961年・1962年にはヤンキースでワールドシリーズ制覇を経験した。1966年シーズン終了後にヤンキースからカージナルスへトレードされ、1967年にはカージナルスの一員としてワールドシリーズ優勝を果たし、1968年シーズン終了後に現役を引退した。
経歴の概略
1950年代後半にメジャーデビューして以降、マリスは堅実な守備と安定した長打力を持つ外野手として評価された。ヤンキース在籍時には同僚のミッキー・マントルと共に強力な中軸を形成し、スポーツ記者から「M&Mボーイズ」と呼ばれた。1960年・1961年の連続MVP受賞は、当時の彼の打撃力とチームへの貢献を象徴する業績である。
1961年の61本塁打と論争
1961年、マリスはシーズン61本塁打を放ち、ベーブ・ルースの持っていた単一シーズン最多本塁打記録(60本)を更新した。この記録更新は野球史上の大きな出来事である一方、当時はレギュラーシーズンが154試合制から162試合制へ移行した直後であったため、「154試合制の記録」との比較を巡って論争が起きた。コミッショナーの発言や様々な報道により、マリスは過度な批判やプレッシャー、時にはファンからの敵意にもさらされた。しかし時間の経過とともにマリスの偉業は広く評価されるようになり、単年最多本塁打としての達成は野球史に刻まれている。
人物像と評価
マリスは派手さよりも黙々とした職人気質の打者として知られ、チームプレーを重んじる姿勢でチームメイトや関係者から尊敬された。一方でメディアや一部ファンからの執拗な注目は彼に精神的負担を与え、個人的には孤立感を感じることもあったと伝えられている。引退後もその記録と人柄は議論とともに語られ、近年は冷静な再評価が進んでいる。
引退後と死去
1968年シーズン終了後に現役を引退。その後は表舞台から距離を置く時間もあったが、野球界やファンの間では記録保持者としての評価が続いた。1985年に病気のため他界したが、61本塁打という偉業は現在でも多くの野球ファンに記憶されている。
遺産
マリスの61本塁打は長らく単年最多記録として語り継がれ、1998年にマーク・マグワイアがこれを上回るまで単独の注目点であり続けた。記録の出し方や当時の環境を巡る議論はあるものの、マリスが残した功績は米国野球史の重要な一章を成している。

1960年のマリス。
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