シェレメテフ家(Шереметевы)— ロシア名門貴族の歴史・系譜・邸宅
シェレメテフ家の波乱と栄華を辿る歴史・系譜。クスコヴォやサンクトペテルブルクの邸宅を写真と共に詳述
シェレメテフ家(ロシア語:Шереме́тевы)は、ロシアを代表する名門貴族の一族で、かつては国内で最も裕福かつ影響力のある家柄の一つだった。軍や行政において多くの高位指揮官や総督を輩出し、最終的にロシア帝国の伯爵位を得た。18世紀半ばには一族はモスクワの東数マイルに位置するクスコヴォに大邸宅を構え、またサンクトペテルブルクにも華麗な邸宅を所有した。そのため一族の当主はシェレメテフ伯爵、妻はシェレメテヴァ伯爵夫人と呼ばれた。
起源と台頭
シェレメテフ家は中世から近世にかけてロシアで勢力を伸ばした古い貴族の家系で、領地経営・軍務・外交などを通じて国政に深く関与した。ピョートル大帝の時代以降、特に17〜18世紀にかけて、軍事的功績や宮廷での奉仕により家格と資産を増した。
軍事・行政での役割
一族の人物はしばしば軍の高官や地方総督に任命され、ロシアの対外戦争や国内統治において重要な役割を果たした。こうした公的職務を通じて得た地位と富を背景に、彼らは大規模な領地経営や文化事業の patron(支援者)としても知られるようになった。
邸宅と庭園:クスコヴォとサンクトペテルブルク
クスコヴォ(Kuskovo)はシェレメテフ家の代表的な別荘で、18世紀の上流社会の娯楽と接遇の場として整備された。フランス式庭園や池、パヴィリオン、グロット(洞窟風の装飾)などが配され、宮廷風の催しや野外劇場も催されたことで知られている。これらの建築・庭園は当時の貴族文化と庭園芸術の好例であり、現在でも観光・文化財として保存・公開されている。
サンクトペテルブルクにあった一族の屋敷(いわゆるシェレメテフ宮殿)は都市生活での拠点で、社交や文化活動の中心だった。これらの邸宅は装飾や美術コレクションの点でも注目され、後年には一部が博物館や文化施設として使われ続けた。
芸術と文化的貢献
シェレメテフ家は美術・音楽・演劇の大口のパトロン(後援者)として知られ、とくに「家内演劇(農奴を俳優に仕立てた私的な劇団)」や楽団の運営で名を馳せた。これらは単なる余興を超え、ロシアにおける舞台芸術の発展にも寄与した。邸宅内に専用の舞台を備え、公演やオペラが行われた記録が残る。
著名な人物
- ボリス・ペトロヴィチ・シェレメテフ(Boris Petrovich Sheremetev):ロシアの軍司令官・外交官として活躍し、対外戦争で功績を挙げた一族の代表的な人物のひとり。
- ニコライ・ペトロヴィチ・シェレメテフ(Nikolai Petrovich Sheremetev):文化事業や演劇の保護で知られる当主。出自の異なる舞台女優プラスコヴィヤ・ジェムチュゴワ(Praskovya Zhemchugova)との結婚は当時大きな話題となり、二人は芸術面でも協力した。
紋章と称号
シェレメテフ家は伝統的な貴族の紋章を持ち、伯爵位の授与によりさらに高い地位を確立した。宮廷や地方行政での正式な称号は一族の社会的影響力を象徴している。
1917年以降の運命と遺産
1917年のロシア革命以降、シェレメテフ家を含む多くの貴族の財産は国有化され、邸宅やコレクションの多くが没収された。一族の一部は国外へ移住し、残った建築物は博物館や文化施設として保存・公開されることが多かった。今日、クスコヴォやサンクトペテルブルクの旧シェレメテフ邸は観光地・文化財として訪れることができ、ロシアの貴族文化や18〜19世紀の生活様式を伝える重要な遺産となっている。
評価と現代的意義
シェレメテフ家は軍事的功績だけでなく、文化的なパトロネージ(芸術支援)によってロシア文化の発展に貢献した点で高く評価されている。彼らの残した建築・コレクション・舞台伝統は、当時の上流社会の暮らしや芸術の受容の仕方を理解するうえで貴重な史料である。

シェレメテフ伯爵の紋章。

サンクトペテルブルクのシェレメテフ宮殿。
名称
シェレメチェヴォ村は、シェレメチェヴォ国際空港の名前にもなっている。
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