すとーく
崇徳天皇(すとくてんのう、1119年7月7日 - 1164年9月14日)は、日本の伝統的な継承順位によれば第75代の天皇である。晩年は讃岐に住んだため、讃岐院とも呼ばれる。公式には鳥羽天皇の子供とされているが、実際はそうでないと言われている。
法眼の乱
彼は後白河法皇(弟)と政治的主導権をめぐって争った。この政争を保元の乱という。敗れた彼は、讃岐に追放された。
レジェンド
崇徳の退位と流刑の後、修道生活に専念。その際、多くの経典を書写し、朝廷に献上した。朝廷はその経典が呪われたものであることを恐れ、受け取りを拒否した。恨みを買った崇徳は、死後、陰陽師になったという。朝廷の没落、武家の台頭、旱魃、内乱など、すべてが彼の祟りとされた。
また、大天狗に化けたという伝説もある。ぬらりひょん、九尾の狐・玉藻の前、鬼・酒呑童子とともに、日本四大妖怪と呼ばれることもある。