ポンペイのカピトリウム(ジュピター神殿):起源・変遷・遺構解説
ポンペイのカピトリウム(ジュピター神殿)の起源・変遷・遺構を詳解。歴史背景や震災・噴火で残る遺跡の見どころを写真と共に紹介。
ジュピター神殿(Capitolium、またはCapitoline Triadの神殿)は、イタリアのローマ都市ポンペイにある神殿である。当初は地元で信仰された木星(ジュピター)に捧げられていたが、ローマの影響が強まった紀元前2世紀半ばに現在の形に整えられ、フォーラム北端の目立つ高所に置かれることで町の宗教的・政治的中心となった。内部にはジュピター、ジュノー、ミネルウァの三神像を安置する正室(cella)があり、祭司のみが立ち入ることが許されていた。
起源とローマ化の経緯
ポンペイは紀元前310年にローマの支配下に入り、その後も長らく自治的な性格を保っていたが、紀元前2世紀にはローマ文化の影響が強まった。町の建築様式はもともとギリシア=サムニウム系の要素を多く含んでいたが、ローマ人は公共空間や宗教建築を通して都市の象徴性を高めることを重視した。紀元前150年頃にフォーラムの中心に置かれたジュピター神殿は、そのようなローマ化の象徴であり、ポンペイにおける公式な宗教儀礼の拠点となった。
建築と構造
神殿は高いポディウム(基壇)の上に建てられ、フォーラムに向かって大きな階段が設けられている。前面には幅の広いポーチと六列(ヘキサスタイル)の柱列が配され、奥に深い正室(cella)を持つ典型的なローマ式神殿の形をとる。建築素材には地元産のトゥファ(凝灰岩)や石材が多用され、外装は漆喰や石材の化粧で仕上げられていたと考えられる。正室内は三尊を祀るために区画され、神像のための台座や装飾が施されていた。
宗教的役割と「カピトリウム」
カピトリウム(Capitolium)はローマ的な「カピトリーノ三神」(ジュピター、ジュノー、ミネルウァ)を祀ることで、都市の公的宗教と結びついた。ポンペイの住民にとってこの神殿は国家的権威を象徴する場所であり、行政行為や公式の祭礼、祝祭行事がここで行われた。ローマの支配を受け入れる過程で、元来の地元信仰とローマ神格が結びつき、宗教空間の意味合いも変化していった。
62年の地震とその影響
紀元62年の大地震はポンペイの建物に甚大な被害を与え、ジュピター神殿も大きく損壊した。以後、修復工事が進められたが、修復は完全には終わらず、79年のヴェスヴィオ噴火時には再建中の状態であった。地震後は、より小規模な神殿であるジュピター・メイリキオス(Jupiter Meilichios)などが暫定的な礼拝所として使われることになり、主要な礼拝の場が移ることもあった。
79年の噴火と発掘
79年のヴェスヴィオ山が噴火し、ポンペイが火山灰と火砕流に埋まった時、ジュピター神殿も被災して埋もれた。18世紀以降の発掘で神殿の遺構が露出し、基壇、階段、柱列、正室の跡などが確認された。発掘資料や遺物から復元された配置や装飾により、神殿の外観や内部構成が明らかになってきたが、噴火とその後の風化・略奪により失われた部分も多い。
遺構の現状と見どころ
- フォーラム北端に位置する高い台座と階段は、フォーラム空間における神殿の支配的な位置を示す。
- 前面のポーチ(六本柱のヘキサスタイル)と深い正室の配置は、ローマ式神殿の特徴をよく残している。
- 正室の跡や台座、柱の基部などから、三神像や儀礼用品が置かれていたことがうかがえる。
- 62年の地震での被害痕と、その後の修復痕が建築材や補修の跡として観察できる。
保存と学術的意義
ジュピター神殿はポンペイにおけるローマ化の象徴的遺構であり、政治・宗教・都市計画の関係を考えるうえで重要な資料を提供する。発掘・保存作業は継続しており、建築史や宗教史、保存科学の観点から多くの研究が行われている。訪問時には、フォーラム全体との関係や他の宗教建築との位置関係を合わせて観察すると、当時の都市空間の意味がより明確になる。
注:本文中の「トライアド」は、カピトリーノ三神(Capitoline Triad)を指す表記の一部です。

ヴェスヴィオ山を背景にしたジュピター神殿。

神殿の北端にある木星の胸像

ポンペイのフォーラムの地図、北端にジュピター神殿またはカピトリウム(H)がある(中央上)
質問と回答
Q:ローマ人がポンペイを占領したのはいつですか?
A:ローマ人がポンペイを支配し始めたのは、紀元前310年です。
Q: ローマ帝国支配以前のポンペイの建築様式はどのようなものだったのでしょうか?
A:ローマ帝国が支配する以前のポンペイの建築様式は、大部分がギリシャから借りたものでした。
Q: ジュピター神殿はいつ建てられたのですか?
A: ジュピター神殿は、紀元前150年に建てられました。
Q: 神殿の正室には誰が入ることができたのでしょうか?
A: 神殿の正室に入ることができたのは、神官だけでした。
Q: 紀元62年、ジュピター神殿の大部分はどうなったのか?
A: 紀元62年、ポンペイが地震に襲われ、ユピテル神殿の大部分が破壊されました。
Q: ジュピターとそのグループ(三位一体)を崇拝する場所として、何がその代わりになったのか?
A:その後、より小さなユピテル・メイリキオス神殿が、ユピテルとそのグループ(三位一体)を崇拝する主な場所となりました。
Q:ポーチでは他にどのような活動が行われ、富を表していたのでしょうか?
A:ポンペイでは、神々を崇拝するだけでなく、富を示すポーチの上で性行為を行うこともあったようです。
百科事典を検索する