イチイの木の舞踏会(Le bal des if|1745年)—ヴェルサイユの仮面舞踏会とポンパドゥール

1745年ヴェルサイユの鏡の回廊で開かれた『イチイの木の舞踏会』—ルイ15世と仮面舞踏、ポンパドゥール侯爵夫人との出会いを描く豪華な宮廷物語。

著者: Leandro Alegsa

イチイの木の舞踏会フランス語Le bal des if)は、1745年2月25日から26日の夜にヴェルサイユ宮殿で開かれた大規模な仮面舞踏会である。会場は有名な鏡の回廊で、多くの貴族や廷臣、招待客が集まり、報告によれば約1万5千人がヘラクレスの間で舞踏会の開始を待っていたとされる。

舞踏会の様子と演出

この舞踏会は豪華な仮面や奇抜な衣装、そして庭園の意匠を模した演出で知られる。国王はルイ15世で、彼と数人の廷臣たちはイチイの木を模したトピアリーに扮して舞踏会に参加したと伝えられる。イチイ(yew)は庭園装飾で頻繁に用いられる常緑樹で、トピアリー(刈り込み像)に仕立てられることで当時の庭園美学を象徴していた。

ポンパドゥールとの出会い

この舞踏会は、国王が後に有力な寵姫となるジャンヌ=アントワネット・ポワソンと接触した場として特に有名である。国王はセナールで狩猟をしていたときに彼女を初めて見たといわれ、その後の接触をきっかけにポワソンは同年9月14日にポンパドゥール侯爵夫人として正式に宮廷に紹介された(紹介の日付や過程は当時の宮廷記録や回顧録に記されている)。この出会いと紹介には、舞踏会の社交的な場としての性格が大きく寄与したと考えられている。なお、当該人物への言及は当該史料の表記に従い、ジャンヌ=アントワネット・ポワソンとと表記している。

歴史的意義と影響

イチイの木の舞踏会は、単なる社交行事を超えて、王権と宮廷文化、寵姫の台頭を象徴する出来事として後世に語られる。ポンパドゥールは1745年に宮廷へ紹介されて以降、1764年に亡くなるまで王の公式な愛妾(maîtresse en titre)として大きな影響力を持ち、芸術や建築、宮廷文化のパトロンとしても知られるようになる。舞踏会での出会いは、彼女の宮廷での役割と18世紀フランス文化への影響を考える上で重要な転機とされる。

舞踏会そのものはヴェルサイユ宮廷の虚飾と権力の演出を象徴する一場面であり、当時の社交様式、服飾、庭園美学が複合的に表現された催しであった。記録や回想録を通じて当時の雰囲気や舞踏会の社会的機能を読み取ることができる。

ギャラリー

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ルイ15世

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ホール・オブ・ミラーズ

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イチイの木の舞踏会」(1745年

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ディアナに扮したポンパドゥール、1746年



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