第三身分とは|フランスのエステート制度・不公平とテニスコート誓約

第三身分とは?フランスのエステート制度と税の不公平、テニスコート誓約が導いた革命の経緯をわかりやすく解説。

著者: Leandro Alegsa

身分制度(エステート制度)の構造

18世紀のフランスでは、社会は大きく三つの身分(エステート)に分かれていました。第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は平民(ブルジョワジー、都市労働者、農民など)です。第一・第二身分は土地や特権を持ち、税の免除や軽減を受けることが多かったのに対し、第三身分は税や年貢、領主への義務など多くの負担を負っていました。そのため、第三身分は経済的に最も苦しい立場に置かれ、深刻な不満が蓄積していました。

財政危機とエステート総会の招集

18世紀末、フランス王政は財政赤字に陥っていました。要因としては度重なる戦争や国家財政の浪費、アメリカ独立戦争への支援などがあり、国庫は逼迫していました。財政再建のため、国王ルイ16世は1789年5月にエステート総会(Estates-General)を招集しました。これは三身分の代表が全国的な問題について話し合うための会議です。

第三身分の要求と「テニスコートの誓い」

エステート総会では、代表の数や議決方法(身分ごとの多数決か、各代表ごとの多数決か)を巡って対立が生じました。第三身分は「人数での投票(議員一人ひとりの平等な扱い)」を求め、政治的な発言権の拡大を主張しました。会議中、第三身分の代表たちは独自に行動を起こし、1789年6月17日に自らを「国民議会(Assemblée Nationale)」と宣言しました。

その後、会議場に入れない事態が起きたため、代表たちは近くの屋内テニスコート(ローン・コート)に集まり、1789年6月20日に「憲法が成立するまで解散しない」と誓い合いました。これが有名な「テニスコートの誓い」(誓約)です。これは第三身分の結束と改革への決意を象徴する出来事となりました。

誤解と事実の整理

  • 第三身分が「60%の税金を払っていた」という表現は単純化です。実際には税負担は複雑で、直接税・間接税・年貢・領主への諸謝礼など多様な負担があり、第三身分に偏っていたことが問題でした。
  • 第三身分の代表者がテニスコートの後に「投獄された」という話は事実ではありません。代表たちは締め出されたり圧力を受けたりしましたが、屋内テニスコートで誓いを立てたのちも公開活動を続け、やがて国民的な支持を獲得していきました。

その後の展開と歴史的意義

テニスコートの誓いをきっかけに、社会の緊張は一気に高まりました。1789年7月14日のバスティーユ襲撃は民衆蜂起の象徴的事件となり、同年8月には「人権と市民の権利の宣言」が採択されるなど、急速に王権中心の旧体制は揺らぎました。ルイ16世はその後も政局に翻弄され、最終的には1793年に処刑されます(これはフランス革命期における王政の終局的な象徴的出来事でした)。

第三身分の行動は単なる税制改革要求にとどまらず、封建的特権の廃止や近代的な市民社会の成立へとつながり、ヨーロッパ全体に影響を与えた大きな歴史的転換点になりました。

まとめ(ポイント)

  • 当時のフランスは第一・第二・第三の三身分(エステート)からなる身分制度で、第三身分が不均衡な税負担と社会的制約を強く受けていた。
  • 財政危機を受けて1789年にエステート総会が招集され、第三身分は国民議会を宣言して政治的改革を要求した。
  • 1789年6月20日のテニスコートの誓いは、憲法制定まで分裂しないという決意表明で、フランス革命の重要な節目となった。
  • これらの出来事は王政の衰退と近代市民国家の成立に向けた原動力となり、世界史的にも大きな意義を持つ。


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