トリレメ(古代ギリシャの三段櫂船)とは|構造・運用・歴史解説

古代ギリシャの軍艦「トリレメ」を構造・運用・歴史から図解で解説。三段櫂や戦術、乗組員の生活まで詳しく紹介。

著者: Leandro Alegsa

トリレメは、約170人のオールを漕ぐ男性によって動力を与えられた古代のオール駆動の軍艦です。細長い船体に3段のオール席(上段・中段・下段)を備え、通常は一枚の大きな帆を持ちました。船首には敵船を破壊するためのバッタリングラム(衝角)が取り付けられており、その先端は青銅でできていて、木製の船体を切り裂くほどの強度を持っていました。

紀元前7世紀から4世紀にかけて地中海の諸都市国家で広く用いられ、特に古代ギリシャでは海戦の主力となりました。トリレメの名前は、左右に3列(上・中・下)のオールを配置し、原則として1本のオールに1人が割り当てられていたことに由来します。漕ぎ手は必ずしも奴隷ではなく、当時の多くの都市では賃金を受け取る有給の漕ぎ手が用いられていました(下記参照)。漕ぎ手のうち上段は「スラニテス(thranites)」、中段は「ズュギテス(zygites)」、下段は「タラミテス(thalamites)」と呼ばれ、それぞれ位置に応じた技術と体力が求められました。

構造と装備

トリレメは軽量で剛性のある木材を組み合わせ、狭く浅い船体をもつことで高速性と機動性を確保していました。幅は一般に5メートル前後、全長は概ね30〜40メートル程度とされることが多いですが、時代や都市国家によって差がありました。甲板は低く、船体の外側には衝角(ラム)が突出していました。帆は通常戦闘時には取り外され、戦闘後や航行中だけに使用されました。

乗員は漕ぎ手のほかに将兵や水夫、指揮官、操舵手などを含めておよそ200人前後が乗り組んでいました。本文では「漕ぎ手だけでなく、トリュームには30人が乗っていた。」とありますが、都市や時期によっては乗員数は変動します。実戦時には帆を扱う水夫、矢を射る弓手、投擲武器を扱う兵(石や火器を使うものも含む)、敵船に乗り移って格闘を行う上陸兵(ホプロライトなど)が配置されました。船の操舵を担当する人物はギリシャ語でκυβερνήτης(クベルネテ)と呼ばれ、この語はラテン語を経て英語の「governor(統治者)」など語源に影響を与えています。総督」という言葉が生まれました。

運用と戦術

トリレメは速度と機動性を生かして突入(ラムで相手船体を破壊する)、あるいは敵の側面を切り裂く戦法が基本でした。代表的な海戦戦術としては、敵の艦列を分断して側面や後方から突く「ディエクプロウス(diekplous)」、敵艦列の外側を迂回して後方から刺す「ペリプロウス(periplous)」などが知られます。また、物理的に衝角で相手を沈めるだけでなく、乗り移って白兵戦に持ち込むことも行われました。

戦闘前にはマストと帆を外して岸辺に置き、漕ぎ手の負担を軽くして機動に集中しました。場合によってはカタパルトやバリスタが付いている船もありましたが、これらは構造上や実戦状況で扱いにくく、主流の戦闘法は依然としてラムによる突撃と乗り込みによる白兵戦でした。大規模海戦では数百隻のトリレメが同時に展開することがあり、著名な例としてサラミスの戦いでは、ギリシャ側に約360隻、ペルシャ側に約600〜800隻が参加したと伝えられています。

漕ぎ手の社会的地位と訓練

古代ギリシャでは船団を維持するため、漕ぎ手の確保と訓練が重要な政治的課題でした。漕ぎ手の多くは賃金を受け取る自由民(市民またはメティス)であったり、時には貧しい市民や補助的な徴募者が務めました。本文のように、ホープライト(重装歩兵)は自前で武器と鎧を用意する必要があり、戦費の負担が大きいため、貧しい層が海兵として動員される例もありました。

漕ぎは単なる力仕事ではなく高度な協調運動であり、特に停止から急発進、急旋回を行うには日々の練習が不可欠でした。指揮者の合図やリズムに合わせるために笛(ギリシャでは管楽器のアウロスなど)が用いられることもあり、統一された掛け声や信号により精密な操船を可能にしました。

歴史的展開と衰退

トリレメは紀元前7世紀頃に出現して以来、アルカイック期から古典期にかけて海戦の主力を務めました。特にペルシア戦争(紀元前5世紀)やその後のペロポネソス戦争(紀元前5世紀後半)で重要な役割を果たしました。しかしヘレニズム期以降、より大きな多段櫂船や帆船が出現し、また戦術や造船技術の変化に伴ってトリレメは徐々に姿を消していきます。ローマ時代には大型の艦艇や補助帆船が発達し、古典的なトリレメの短命な運用様式は次第に置き換えられました。

復元と現代の研究

20世紀以降、考古学と航海実験によりトリレメの実像が再検討されてきました。1980年代に建造された復元艦「Olympias」などの実験により、トリレメは短距離で高速(例:約8〜10ノット程度の最高速)を発揮できたこと、しかし長距離航行では帆に頼る必要があったことが示されました。これらの復元実験は、乗組員の配列や操艦技術、戦闘時の実際的な制約を理解するうえで重要な資料となっています。

まとめると、トリレメは古代地中海世界での海上戦力の中心であり、造船技術、軍事戦術、社会構造を結びつける存在でした。その設計は機動性と攻撃力を優先しており、短期的な投入と頻繁な沿岸上陸・整備が前提の運用形態を反映しています。



ギリシャのトリーム。Zoom
ギリシャのトリーム。

質問と回答

Q:トリレームとは何だったのか?


A:トリレメとは、約170人の漕ぎ手によって動かされた古代の櫂船である。3段の櫂と1枚の帆を持ち、船首には木造船の側面を簡単に切り裂くことができる青銅製の打撃棒があったそうです。

Q: トリリームの漕ぎ手は誰がやっていたのですか?


A: 漕ぎ手は奴隷ではなく、お金をもらって漕ぐ自由人でした。古代ギリシャでは、貧しくて自分の鎧や武器を買うことができない兵士(ホプライトと呼ばれる)が、戦時にはトリリームの漕ぎ手となりました。

Q: トライミーには何人乗っていたのですか?


A:170人の漕ぎ手、30人の水夫と兵士、そして船を操縦するクベルネーテの合計200人ほどが乗っていました。

Q:クベルネーテは何をする人だったのですか?


A: クベルネテは、戦闘や航海の際にトリレームを操縦する役割を担っていました。このことから、英語のGovernorは、国家を率いる人という意味になっています。

Q: トライミーはどれくらいの期間、海に留まることができたのでしょうか?


A:小さな船に多くの人が乗っていたため、トライミーはあまり長く海に留まることができず、毎晩陸に上がっては海から引き上げ、浜辺でその横で眠ることが多かった。

Q:トライレムとの戦闘の前には何があったのですか?


A: 戦闘の前にマストと帆を外し、岸に置いておくと、矢を射る兵士や剣や槍を持って敵の船に乗り込もうとする兵士のために、より広いスペースを確保することができた。

Q: サラミスの海戦には何隻の船が参加したのですか?


A: サラミスの海戦ではギリシャ側に約360隻、ペルシャ側に600-800隻の船があった。


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