ウァレンティニアヌス3世 ― 西ローマ皇帝(419年–455年)
425年から455年まで西ローマ帝国を統治した皇帝。摂政、有力将軍、ヴァンダル族によるアフリカ喪失、アッティラへの対抗、そして非業の死に彩られた治世を送った。
概要
ウァレンティニアヌス3世(フラウィウス・プラキディウス・ウァレンティニアヌス、419年7月2日–455年3月16日)は、425年から死去するまで西ローマ皇帝であった。幼少で皇帝に擁立されたため、治世の大半は母ガッラ・プラキディア、有力な官僚、強大な軍事指導者など、他者の政治的指導のもとに置かれた。彼の在位期は、西方における帝国権威の分裂が加速し、かつての帝国領内で非ローマ系諸王国の力が増大した時代と重なる。
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6 画像統治と宮廷
ウァレンティニアヌスが即位した時代、帝位継承は派閥政治と王朝的な結び付きによって形作られていた。初期には母が摂政を務め、宮廷では実権を行使する高官や将軍が主導的な地位を占めた。皇帝は東方皇帝の娘リキニア・エウドクシアと結婚して東方の宮廷との関係を強めたが、国境地帯や国内の脅威に対処するため、次第に信頼する軍事指導者へ依存するようになった。
軍事危機と対外関係
この治世には重大な軍事的・外交的試練があった。ガイセリック率いるヴァンダル族は439年にカルタゴを占領し、西方は重要な穀物供給源と海軍基地を失った。ガリアとイタリアでは、帝国は移住・侵入する諸集団から圧力を受け、フォエデラティ(同盟部族)の支援に頼った。最も著名な対決は、フン族の指導者アッティラとのものである。ガリアでの451年の戦役と、452年のイタリアへの侵入は、イタリアの恒久的征服には至らなかったが、ローマがなお保持していた支配の脆弱さと、連合軍による戦いの重要性を示した。
主な出来事
- 幼少での即位と、ガッラ・プラキディアによる摂政。
- 5世紀半ばの、北アフリカ諸属州およびカルタゴのヴァンダル族への喪失。
- ガリアにおけるアッティラへの同盟軍の抵抗と、アッティラの撤退につながったイタリアでの外交。
- 将軍アエティウスの優勢と、西方防衛におけるその中心的役割。
暗殺と遺産
晩年のウァレンティニアヌスは、最も強力な将軍に対する不信を深めた。450年代半ば、皇帝は自らその将軍を排除したが、この行動は重大な局面で軍事指導体制を弱体化させた。ほどなくして皇帝自身も宮廷で暗殺され、西方における継続性の中心人物が失われた。この出来事の後には不安定化が再燃し、455年後半のローマ略奪も続いた。彼の治世はしばしば後期西ローマ帝国の象徴とみなされる。すなわち、形式上の帝国制度が存続する一方、実権は軍司令官と地域の支配者に委ねられていた。
彼が統治した政治体について簡潔に知るには、西ローマ帝国を参照。彼の治世に挑戦したフン族の指導者については、アッティラを参照。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com ウァレンティニアヌス3世 ― 西ローマ皇帝(419年–455年) Leandro Alegsa
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