女王の谷とは 古代エジプトの王妃墓地の歴史と考古学的概要

女王の谷の歴史と考古学を徹底解説 古代エジプトの王妃墓地タ・セト・ネフェルの由来やハトホル信仰、91基の墓と最新発掘成果を写真で紹介

著者: Leandro Alegsa

女王の谷アラビア語:وادي الملكات Wādī al Malekāt)は、古代エジプトでファラオの妻たちが埋葬された場所である。古代には「タ・セト・ネフェル」と呼ばれ、「美の場所」を意味した。

位置と名称の由来

女王の谷は現代のルクソール(古代テーベ)の西岸、王家の谷の近くに位置する一連の峡谷群(ワジ)である。古代エジプト語の呼称 Ta-set-Nefer(タ・セト・ネフェル)は「美しい場所」「美の区域」と訳され、王妃たちや王族女性のために特別に選ばれた埋葬地であったことを示唆する。

歴史的背景と利用時期

女王の谷が主に使用されたのは新王国時代(第18〜20王朝)で、王妃のほか王族の子女、あるいは高位の王族女性がここに葬られた。谷が選ばれた理由は完全には解明されていないが、近接するデイル・エル・メディナの労働者の村や、谷入口にあるハトホルを祀る聖なる洞窟など宗教的・実務的な要因が関係していたと考えられている。特にハトホルは生と再生、死者の若返りに結びつく女神であり、その聖域の存在は埋葬地としての選択に寄与した可能性がある。

墓の構成と装飾

女王の谷の墓は岩を削って造られた横穴式で、通路(傾斜路)やいくつかの側室、そして中央の中室・副室へと続く場合が多い。壁面や天井には葬送に関する場面や神々の像、死者のための典礼文が描かれており、アムドゥアト(Amduat)や冥界の書、女神ハトホルやイシス、オシリスなどの図像が見られる。色彩や図像の構図は個々の墓の時代や受葬者の地位により差があるが、総じて高品質な装飾が特徴である。

墓の数と主な発見

主なワジには91の墓があり、近くの谷にはさらに19の墓がある。各墓には「QV」(Queen's Valley)という番号が付され、これにより個別の墓が識別される。19世紀以降、考古学的な探査と発掘が行われ、多くの墓が記録・調査された。発掘調査は現在も断続的に続けられ、埋葬品や壁画の調査、保存修復が進められている。

注目すべき墓と保存状況

  • QV66(ネフェルタリ王妃の墓) — ラメセス2世の王妃ネフェルタリの墓は、鮮やかな色彩と保存状態の良さで特に有名である。高品質な壁画と繊細な表現が見られるため、保存上の配慮から見学人数や時間が制限されることがある。
  • その他にも多くの王妃や王族の墓があり、個々に装飾の主題や規模、構造が異なるため、古代の葬送儀礼や王家の女性の役割を理解する上で重要な資料となっている。

考古学・保存・観光

女王の谷は王家の谷とともに「テーベのネクロポリス」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている(登録範囲:Theban Necropolis)。19世紀から20世紀にかけて行われた初期の調査以降、20世紀後半から現代にかけては発掘記録の整備、科学的調査、壁画や遺物の保存修復が重点的に行われている。古い保存処置や観光による損耗、塩分や湿気による劣化などが大きな課題であり、専門家による継続的なモニタリングと保全対策が求められている。

文化的意義

女王の谷は単に王妃の埋葬地というだけでなく、古代エジプトにおける王家女性の宗教的・社会的地位を示す場である。壁画や副葬品を通じて当時の信仰、死生観、葬制の変遷が読み取れ、テーベ地方の宗教的景観(ハトホル信仰や王家の葬儀伝統)を理解する上で欠かせない遺跡群である。

女王の谷は今後も新たな発見や保存技術の進展によって、その歴史的価値がさらに明らかになっていくと期待されている。

クイーンの谷の全景Zoom
クイーンの谷の全景

ネフェルタリの墓の様子Zoom
ネフェルタリの墓の様子



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