1929年のウォール街大暴落は、アメリカ史上最大の株式市場の暴落でした。

1929年10月29日(火)、ニューヨーク証券取引所で起きた事件です。その後、銀行の倒産が相次ぎ、企業の閉鎖が相次ぎました。これが世界的なパニックを引き起こし、世界大恐慌の始まりとなった。株価が元に戻るのは1954年末のことである。

この暴落をきっかけに、10年間にわたる世界大恐慌が始まり、欧米の先進国全体に影響を与えた。各国は高い関税をかけたり、輸入を制限したりしました。国際貿易は減少しました。多くの人が食料を求めてスープキッチンに足を運んだ。アメリカでは、1941年末に第二次世界大戦への動員が開始され、大恐慌は終結しました。

背景と主な原因

1920年代後半のアメリカでは、工業生産の拡大や新技術の普及で株価が急騰しましたが、同時に以下のような問題が積み重なっていました。

  • 過度な投機と信用取引:個人や投機家が証拠金(マージン)を使って株を買い進め、株価が実体経済とかけ離れて上昇しました。
  • 所得の集中と消費の限界:富の集中により消費が追いつかず、過剰生産気味になった産業もありました。
  • 金融機関の脆弱性:地方銀行を中心に経営基盤が弱く、株価下落が預金者の不安を煽ると取り付け騒ぎや破綻が拡大しました。
  • 国際的な経済不均衡:第一次世界大戦後の賠償や債務問題、農産物価格の下落などで世界経済の回復が脆弱でした。

暴落の経過

暴落は一日で完了したわけではなく、1929年10月の数日にわたって急激に進行しました。24日(ブラック・サーズデー)に売りが加速し、28日(ブラック・マンデー)と29日(ブラック・チューズデー)にかけてさらに大規模な投げ売りが発生しました。取引量が急増し、多くの投資家が巨額の損失を被りました。

経済的・社会的影響

  • 失業と企業倒産の拡大:企業の閉鎖や設備投資の縮小により失業率が急上昇し、アメリカでは1933年頃に失業率が高水準に達しました。
  • 銀行危機の連鎖:銀行の取り付けや信用収縮により多くの銀行が倒産し、預金が失われた事例も多くありました。
  • 国際貿易の縮小と保護主義の台頭:各国が関税や輸入制限を強化し、関税戦争のような状態が生じて国際貿易は大幅に減少しました(代表例が米国のスムート・ホーリー関税法など)。
  • 社会的不安と政治的影響:貧困や失業の増加は社会不安を生み、ヨーロッパでは政治的極端主義の台頭を後押しする一因ともなりました。

政府の対応と制度改革

アメリカでは、暴落後に段階的な政策対応と制度改革が行われました。フーヴァー政権下での対応は限定的で失業対策が不十分だったと批判され、1933年以降のフランクリン・D・ルーズベルト(FDR)による「ニュー・ディール」政策では公共投資や雇用創出、社会保障制度の整備が進められました。

また、金融制度面では以下のような改革が実施されました:

  • 銀行制度の再編と預金保護:1933年の銀行法により連邦預金保険公社(FDIC)が設立され、預金者保護が強化されました。
  • 証券取引所の監督強化:投資家保護と市場の透明性向上のため、証券取引委員会(SEC)が設立され、証券取引法などが整備されました。
  • 銀行業と投資銀行の分離:金融の安定を図るため商業銀行と投資銀行の業務分離(グラス=スティーガル法など)が行われました(後に一部が変遷)。

歴史的評価と教訓

1929年の暴落とその後の世界大恐慌は、金融市場の過熱、信用拡大の限界、国際協調の欠如が重なった結果として理解されています。教訓としては、金融規制の重要性、マクロ経済政策による景気安定化の必要性、国際経済の協調の重要さなどが挙げられます。

最終的にアメリカの株価が1929年の高値を回復するのは1954年末までかかり、この長期にわたる低迷が社会と政治に大きな影響を与えました。歴史から学び、同様の危機を防ぐための制度設計や国際協力が現在も続く課題です。