1138年アレッポ地震:死者23万人の伝承と史料混同

1138年アレッポ地震と「死者23万人」伝承の真相を解明:1137〜1139年の地震史料混同と史料批判で見える歴史の再評価。

著者: Leandro Alegsa

1138年10月11日、シリア北部のアレッポの町付近で起きたアレッポ地震は、米国地質調査所では死者23万人、史上3番目に大きな地震として扱われています。しかし、この「死者23万人」という数字や規模の評価は後世の史料混同による可能性が高く、史実としてそのまま受け取ることはできません。

史料の混同と経緯

近年の地震史研究は、本件が単一の事件として集計されている点を問題視しています。具体的には、以下の別個の地震記録が重ね合わせられている疑いが指摘されています。

  • 1137年11月のジャジラ平原(北メソポタミア)での地震記録
  • 1138年10月11日のアレッポ付近の地震記録
  • 1139年9月30日のアゼルバイジャンのガンジャでの地震記録

また、これらを総合して多数の死者を記した最も早い文献的言及は、イブン・タグリビルディ(15世紀)の記述に遡るとされ、事件から数世紀を経てまとめられた情報が含まれている点が重要です。この時間的隔たりや、当時の年代記作者間での伝播・引用の過程で、被害規模が膨らんだり、複数の地域での被害が一か所に結び付けられたりした可能性があります。

混同が起きる背景と留意点

  • 年代・場所の記録誤差:中世の年代記は地域名や年号の記述が曖昧になりやすく、転写過程で誤りが生じる。
  • 二次史料の連鎖:後世の歴史家が複数の年代記をまとめる際に、別々の出来事を一つに統合してしまうことがある。
  • 数値の誇張:戦争や疫病、飢饉と同様に、地震被害の死者数は過大に報告されやすい。特に長期間にわたる口承や写本の伝達で増幅しやすい。

したがって、USGSの分類や「死者23万人」という数字は、史料批判の視点から慎重に扱うべき情報です。正確な被害規模は不明であり、現代の研究者は当時の一次史料を再検討して、地域ごとの記録を分離しつつ被害の実像を再構築する作業を続けています。

なお、本件に関する詳細な評価や最新の学術研究を確認する場合は、地震学・歴史学双方の専門文献や史料批判を扱った論考を参照することをお勧めします。



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