1191年の出来事と年表一覧 誕生・死亡・重要事項
内容
1 イベント
2 出産
3 死亡
4 雑多なもの
1 イベント
1191年は、特にヨーロッパと中東において第3回十字軍(1189–1192年)の重要な出来事が集中した年として知られます。以下に主要な出来事を挙げます。
- シチリア・イングランド・キプロス関連(1191年5月):リチャード1世(獅子心王、イングランド王)は地中海を航行する際にキプロス島に寄港し、当時島を治めていたイサクス・コムネノス(Isaac Komnenos)を討ってキプロスを占領しました。リチャードは短期間支配した後、この島を売却・譲渡する措置をとっています。
- リチャード1世とベレンガリアの結婚(1191年5月):リチャード1世はキプロス滞在中にベレンガリア・オブ・ナバーラ(Berengaria of Navarre)と結婚しました(結婚は巡礼の途上で行われたとされます)。
- アッコ(ア크レ)包囲戦の決着(1191年7月):第3回十字軍の重要拠点であるアッコの包囲戦は、1191年に十字軍側の勝利で一応の決着を迎え、同地の支配権が奪回されました。これにより十字軍勢の拠点回復が進みました。
- アルスフの戦い(Battle of Arsuf、1191年9月7日):リチャード1世率いる十字軍連合軍がサラディン率いるイスラム軍に対して勝利を収めた戦闘です。海岸線を巡る戦いで、十字軍側の機動力と騎士の突撃が決定打となりました。
- フィリップ2世(フランス王)の帰国(1191年):第3回十字軍に参加していたフランス王フィリップ2世は軍を率いていたものの、同年にフランスへ帰国しています。これにより十字軍内の主導権や連携に変化が生じました。
2 出産
1191年に関して、世界規模で信頼できる史料に記録された「著名人物の誕生」の一覧は限定的です。中世の記録は地域や年代によって偏りがあり、確実に1191年生まれと確認できる人物は少数です。
- 現存する主要史料で1191年生まれと特定できる著名人の一覧は限定的であり、ここでは個別の確定情報を挙げる代わりに、年代記や系譜資料での確認が必要であることを記します。
3 死亡
1191年に亡くなった著名人物についても、地域や史料によって差があります。以下は代表的な注目点です。
- 十字軍・中東関係や欧州の貴族層では戦死や病死などで記録が残る人物がいますが、確定的に「1191年に死亡」と断言できる著名人は限られます。個別の人物については各地域の年代記や専門史の確認を推奨します。
4 雑多なもの
1191年に関するその他の背景情報や注目点を示します。
- 日本の年号(和暦):西暦1191年は日本では建久2年(けんきゅう2ねん)に当たります。建久年間(1190–1199年)は鎌倉幕府成立直前の時期であり、源頼朝の権力基盤形成期にあたります(正式な武家政権の成立は1192年の征夷大将軍任命に関連)。
- 文化・技術面の注目:12世紀末はヨーロッパで城郭築造や軍事技術の発展が進んだ時期で、十字軍遠征は欧州と中東間の交易・文化交流を活発化させました。学問や宗教的思想の交流も続いています。
- 史料上の注意点:1191年に関する出来事は地域ごとに史料の量・質が大きく異なります。とくに誕生・死亡については現代史家による再検討や年代推定の結果、表記が変わる場合があります。個別の人物を扱うときは、一次史料や信頼できる学術的な出典を確認してください。
年表(簡易)
- 1191年5月:リチャード1世、キプロス占領/ベレンガリアと結婚(キプロス滞在中)
- 1191年7月:アッコ(アクレ)包囲戦の決着(十字軍側の勝利)
- 1191年9月7日:アルスフの戦い(リチャード1世がサラディンを破る)
- 1191年:フィリップ2世、十字軍からの帰国/日本では建久2年
このページは概説を目的としており、個々の出来事や人物について詳しく調べる場合は、専門書や学術論文、一次史料の参照をおすすめします。
イベント
- 5月12日 - イギリスのリチャード1世がナバラのベレンガリアと結婚する。
- 9月7日 第三次十字軍。アルスフの戦い - イギリスのリチャード1世がアルスフでサラディンと戦う。戦いの結果は決定的でない。
- グラストンベリー修道院の修道士たちが、アーサー王と王妃ギネビアの埋葬地を発見したと発表する。
- ベルン市はツェーリンゲン公ベルトホルト5世によって創設された。
死亡者数
- 3月27日 教皇クレメンス3世
- スーフィーの聖人であり神秘主義者であるシャハブ・ウド・ディン・スフラワルディーが処刑される。
その他
Xbox 360用の人気ゲーム「アサシン クリード」の舞台となる年です。