1452年(西暦)―中世後期の年
ユリウス暦における1452年の概要。オスマン帝国の要塞建設、ポルトガルの拡張に影響した教皇勅書、レオナルド・ダ・ヴィンチらの誕生を取り上げる。
概要
1452年は中世後期に当たり、ヨーロッパと地中海世界で大きな政治的・文化的変動が起こる直前の年である。当時用いられていたユリウス暦では、一般に閏年として扱われる。1452年を取り巻く10年間には、イタリアでルネサンスの活動が加速し、オスマン国家が拡大するとともに、大航海時代を形作る初期の動きも進展した。
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6 画像主な出来事
- 大西洋への拡張に影響した教皇の認可:1452年、教皇ニコラウス5世は、新たに出会った人々と領土に関する一定の権利をポルトガル王権に認める教皇勅書を発布した。その文言は、初期の海外進出における征服や非キリスト教徒の奴隷化を正当化するために用いられることとなった。
- コンスタンティノープルに向けたオスマン帝国の準備:1452年、オスマン帝国の君主メフメト2世は、ボスポラス海峡のヨーロッパ側海岸に要塞を建設するよう命じ、その支配を強化した。この措置は1453年のコンスタンティノープル征服に直接先行し、東地中海の政治を大きく変えた。
- 西ヨーロッパの政治的緊張:イングランド、フランス、イタリア諸国家では、薔薇戦争とイタリア・ルネサンス期の政治を特徴づける分裂や対立が進行していた。1452年は、単一の決定的な戦闘の年というより、王朝間の策動が展開された時期に位置する。
主な誕生
- レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年–1519年)— 1452年4月生まれ。のちにイタリア・ルネサンスを代表する画家、科学者、多才な人物として称賛された。
- アラゴン王フェルナンド2世(1452年–1516年)— のちの国王。その結婚と政策はスペインの統一を助け、大西洋への航海を後援することにつながった。
- イングランド王リチャード3世(1452年–1485年)— 1452年生まれで、のちに薔薇戦争の中心人物となった。
- 探検家や下級貴族なども、時に1452年生まれとされる。一部の人物については、たとえばクリストファー・コロンブスのように、正確な生年が不確実であるか、歴史家の間で異論がある。
背景と意義
1452年そのものには世界的に決定的な出来事が一つあったわけではないが、コンスタンティノープルの陥落(1453年)、ヨーロッパにおける可動式活字印刷の広範な普及、ヨーロッパの海洋探検の強化といった、一連の変革的な出来事の直前に位置する点で重要である。1452年の行動と文書は、海外征服と帝国権力の拡張を支える法的・政治的枠組みに寄与した。
暦と歴史的位置づけ
1452年は、当時使用されていたユリウス暦に従って近代の歴史叙述に記録されている。歴史家が15世紀半ばの出来事に言及する際、1452年は、イタリアにおけるルネサンスの芸術と学問、イングランドとフランスの王朝的対立、そしてオスマン帝国の西方への圧力という、重なり合う展開の中に置かれる。これらはいずれも、その影響が世紀後半に顕著となった潮流であった。
特筆すべき点
この年は、とりわけレオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする卓越した人物が生まれた年として記憶されることが多い。彼の生涯と作品は、ルネサンスにおける知的・芸術的変容を象徴している。同時に、1452年の教皇による布告とオスマン帝国の軍事的な取り組みは、宗教と戦争が新たに形成されつつあった世界的な結び付きをどのように形作ったかを示している。
関連項目
著者
AlegsaOnline.com 1452年(西暦)―中世後期の年 Leandro Alegsa
URL: https://ja.alegsaonline.com/art/111370