1471年(MCDLXXI)は、ユリウス暦における15世紀の平年である。イングランドとローマで起きた複数の重要な政治事件、そしてルネサンス期ヨーロッパ全体で進んだ海上探検と文化変化の流れの中に位置する年として、しばしば記憶される。

主要な出来事

  • 薔薇戦争(イングランド): 1471年4月と5月の2つの決定的な戦い、すなわちバーネットの戦い(4月14日)とテュークスベリーの戦い(5月4日)が、ランカスター家の巻き返しへの期待を終わらせた。エドワード4世は対立勢力を破り、有力大貴族であるウォリック伯リチャード・ネヴィルはバーネットで戦死し、ランカスター家の継承者エドワード・オブ・ウェストミンスター、ウェールズ公もテュークスベリーで死亡した。ランカスター家の王ヘンリー6世は公の場から姿を消し、その後まもなくロンドン塔で死去して、事実上エドワード4世の王位支配が回復した。
  • 教皇継承: 1471年に教皇パウルス2世が死去した。同年後半、枢機卿団はバルトロメオ・デッラ・ローヴェレを教皇に選出し、彼は8月1471年からシクストゥス4世として在位した。彼の教皇職は、イタリア政治と芸術保護に重要な影響を及ぼすことになる。
  • 海上探検と交易: 1460年代後半から1470年代初頭にかけて、ポルトガルは西アフリカ沿岸で進出を続けた。航海者や商人は海岸沿いの接触と交易網を広げ、金、象牙、その他の産品の取引を進め、のちの世紀に拡大する要塞化された交易拠点と大西洋交易の基盤を築いた。

性格と注目すべき事実

数としての1471は奇数の整数であり、ローマ数字ではMCDLXXIと表される。また素数でもあり、1と自分自身以外に正の約数を持たない。1471年はまさにルネサンス期に位置しており、印刷技術とヒューマニズム学問が広まりつつあり、イタリア、フランス、その他の地域の宮廷は芸術と知的活動の重要な後援者となっていた。

影響と意義

1471年の軍事的・政治的な帰結はイングランドに長く影響した。主要なランカスター勢力の決定的敗北は、その王家が再び権力を取り戻すまでをほぼ三十年遅らせ、ヘンリー・テューダーの台頭までヨーク朝の優位を強めた。シクストゥス4世の下で始まった新たな教皇権は、イタリアとヨーロッパの政治、法、芸術に影響を与えた。一方、大西洋交易の拡大は、次の世紀に加速するさらに大きな世界的変化を予告していた。

主な死去(選定)

  • リチャード・ネヴィル、第16代ウォリック伯(1471年没)— イングランドの著名な指揮官でキングメーカー、バーネットで戦死。
  • エドワード・オブ・ウェストミンスター、ウェールズ公(1471年没)— テュークスベリーで殺害されたランカスター家の継承者。
  • イングランド王ヘンリー6世(1471年没)— ロンドン塔での死により、当面のランカスター家の挑戦は事実上終結した。
  • 教皇パウルス2世(1471年没)— その年の前半に死去するまでカトリック教会の首長を務めた。

このように1471年は、イングランドにおける政治的統合の年であり、教皇制の転換点であり、さらに15世紀後半のヨーロッパにおける探検、文化の成長、制度変化という、より広い流れの一地点でもあった。