概観

1536年は、ヨーロッパで政治と宗教の変動が激しく進んだ年であり、アメリカ大陸では探検と植民地化が活発に続いた時期でもあった。王権をめぐる争いと宗教改革がイングランドと大陸の出来事を形づくり、同時に遠隔地では遠征や入植がヨーロッパ勢力の存在を拡大していった。

イングランド:宮廷・改革・反乱

イングランドでは、ヘンリー8世の私生活と政治が国政の中心を占めた。1536年5月19日、第二王妃アン・ブーリンは、反逆、姦通、近親相姦の罪で有罪とされて処刑されたが、その裁判は広く政治的意図が強いものと見なされている。11日後、ヘンリーはジェーン・シーモアと結婚した。議会と王権は修道院の力を弱める措置を進め、1536年の小規模修道院解散法は、修道院財産の抑圧と再配分を進めるより広範な政策の出発点となった。

抵抗と不穏

こうした宗教的・経済的変化は、民衆の抵抗を招いた。1536年10月に始まった大規模な北部の蜂起である恩寵の巡礼は、修道院解散、財政負担、宗教改革に抗議する数千人を集めた。反乱は鎮圧されたが、急激な教会改革に対する民衆の強い反発を浮き彫りにした。

探検とアメリカ大陸

アメリカ大陸でのヨーロッパ勢力の活動は、先住社会を引き続き変化させた。ペドロ・デ・メンドーサは1536年、ブエノスアイレスの地に最初のヨーロッパ人入植地を築いた。アンデスでは、スペイン支配への先住民の抵抗が激化し、マンコ・インカがピサロ軍に対する大規模な反乱を率いて、同年にクスコを包囲した。これは征服後に強まった対立を示している。

知的生活と宗教改革

1536年は宗教思想の面でも重要だった。ジョン・カルヴァンは『キリスト教綱要』の初版を刊行し、プロテスタント神学を体系的に示したこの著作は、後の改革派の伝統に大きな影響を与えることになる。またこの年には、北方人文主義を代表するデシデリウス・エラスムスが7月12日に死去し、ヨーロッパの知的世界がルネサンス人文主義から宗派的改革へ移っていく転換点となった。

主な出来事と意義

  • アン・ブーリンの処刑(5月19日)と、ヘンリー8世のジェーン・シーモアとの結婚(5月30日)。
  • イングランドにおける小規模修道院の法的解散の開始。
  • 恩寵の巡礼、イングランド北部の大規模蜂起(1536年10月)。
  • ペドロ・デ・メンドーサによるブエノスアイレスの建設(1536年)と、マンコ・インカのクスコ包囲。
  • ジョン・カルヴァンの『キリスト教綱要』刊行と、エラスムスの死去。

総じて1536年の出来事は、宗教改革、国家の中央集権化、海外 विस्तारの諸力が近世初期を特徴づけていたことを示しており、政治、信仰、そして世界的な接触に長期的な影響を残した。