1666年とは?歴史・主な出来事と年表まとめ
1666年(MDCLXVI)は、グレゴリオ暦の金曜日から始まる通年、ユリウス暦の月曜日から始まる通年であり、共通時代(CE)およびアンノ・ドミニ(AD)呼称の1666年、第2千年紀の666年、17世紀の66年、1660年代の7年目であった。1666年の開始時点で、グレゴリオ暦はユリウス暦より10日進んでおり、ユリウス暦は1923年まで局所的に使用されていた。
年の特徴と暦について
17世紀のこの時期、ヨーロッパでは暦の違いが混在していたため、年代の表記や日付のずれがしばしば問題になりました。グレゴリオ暦はユリウス暦の閏年規則の調整により生じた累積誤差を是正するために導入され、17世紀には両暦の差は約10日でした。国や地域によって採用時期が異なり、行政・宗教・貿易の記録で混乱が生じることがありました。
1666年の主な出来事(年表)
- 6月1–4日 — 四日間の海戦(Four Days' Battle):第二次英蘭戦争中に英蘭両海軍が交戦した大規模な海戦。戦闘は激しく、多くの艦船と人命が失われた。
- 8月4日 — セント・ジェームズデーの海戦(St. James's Day Battle):同じく英蘭戦争の海戦で、戦況に影響を与えた重要な戦闘の一つ。
- 9月2日–6日 — ロンドン大火(Great Fire of London):ロンドン中心部で発生した大規模な火災。パン屋(トーマス・ファリナーの店)が発端とされ、数日で広範囲に延焼して約13,000軒の家屋や多数の教会が焼失し、市街の大部分が壊滅的被害を受けた。火災後、都市の再建や都市計画、建築基準の見直しが進められ、サー・クリストファー・レンらが再建事業に関わった。
- 科学・文化の動き — この時期、自然哲学(のちの科学)の発展が活発で、イングランドではロンドンでの疫病流行(1665年)に続く時期に、アイザック・ニュートンが田園に退避していた間(1665–1666年)に光学や微積分の萌芽、万有引力の初期の考察など重要な着想を得たとされる(いわゆる「annus mirabilis」に含まれる)。また、王立協会(Royal Society)などの学術活動が続いていた。
社会的影響とその後
ロンドン大火は都市構造を根本的に変え、石造建築への転換や消防制度の整備、通り・区画の再設計など長期的な都市改革を促しました。海戦による被害は当時の海上覇権争いに影響を与え、各国の海軍戦術や造船技術の重要性が再認識されました。また、科学・技術の分野では、個々の研究者が疫病や社会的混乱の中で独創的な成果を生み出した例があり、近代科学成立の萌芽が見られます。
補足
- 年の表記:MDCLXVI(ローマ数字)および「1666年」というアラビア数字は同一の年を示します。
- 暦の扱い:この時代の史料を読む際は、用いられている暦(グレゴリオ暦かユリウス暦か)に注意すると、同じ出来事の記録で日付がずれていることがあります。